『校報』第94号(ブログ版・その1)

2011年度キリスト教教育目標聖句

                                宗教主任 鳴坂明人

「だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい。」
                      コリントの信徒への手紙機。隠鮎錬横柑誉



 IT(情報技術)、マルチメディアの発達によって、人間の知識は飛躍的に増大しました。
洪水のように押し寄せる情報は社会に大きな影響を与えています。ITは生活の快適さを提
供し、もはや日常生活には欠かせません。しかしITの情報は視覚と聴覚だけのヴァーチャ
ル経験です。それは、本来の五感で直に接する経験の機会を蝕み、人間の創造力、思考力、
判断力、感性を鈍化させる要因になっていることは否めません。その結果、人間性と社会の
基盤が歪められ、孤立社会、身寄りのない「無縁社会」の深刻な危機すら言われています。
生きる上で必要不可欠なものは何か、大切に守るべきものは何かを問い直すことが、今、求
められています。ほんとうの豊かさ、充実した人生は人との深い絆であることに気づいた人
は少なくないと思います。
 とくに3月11日の東日本大震災。未曾有の大地震と大津波による甚大な被害をもたらし、
多くの方の犠牲と、今も行方不明者の捜査は続いています。その被災地でボランティア活動
や物心両面の支援をする人は国内外を問わず少なくありません。
 今年度の聖句は「だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい。」を掲げ
ました。この言葉は今から約2000年前、使徒パウロがギリシアのコリント教会に宛てた
手紙の一節です。コリントの町は多種多様な人々が行き交い、自由な空気に満ちあふれた商
業都市の一つでした。コリント教会は多様な人間集団として多くの問題を抱えていました。
とくに教会内のユダヤ人の多くは市場で販売されていた肉に関して、宗教的な戒律から、食
べてよいのか、汚れた物として拒否すべきなのか、教会を二分するほどの紛争になっていた
ようです。
 この状況を踏まえて、食べ物に関する宗教的な戒律を契機に、神が期待する人間像につい
て、使徒パウロは教会の人たちに教え諭しています。その言葉の一つが「だれでも、自分の
利益ではなく他人の利益を追い求めなさい。」です。
 古今東西、他人の利益を優先するよりも自分の利益を最優先、損得勘定の行動基準は変わ
らないようです。しかし他人の利益を最優先することの中に、確かな幸せの実が豊富にある
ことを聖書は教えています。

 イエス・キリストは神として絶対の自由と万能性を所有していたにもかかわらず、そのす
べてを他人の利益のために用いられた方です。今もイエス・キリストは何の見返りも求めず、
分け隔てなく人を愛し、喜ばせ、助け、幸いを提供される神です。私たちの利益のために自
らの命までも差し出された神なのです。このイエス・キリストを模範とすること、自分のこ
とを後回しにする生き方は簡単なことでありません。あえて人の不利益を引き受け、しかも
何の見返りも求めないことは相当なストレス源を抱え込むことになります。損をして得をす
るという商売の手法ではなく、誠心誠意の思いやりは相手に通じるだけではなく、神にも通
じることを聖書は教えています。物欲から離れた人と人との絆を大切にし、辛苦と喜びを分
かち合う生き方を始める時です。


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今年度の聖句



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