クリスマス賛美礼拝の裏側(ヘルパーの活躍)

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12月12日(土)、本校にてクリスマス賛美礼拝を捧げたことはすでにお知らせしたとおりです。
賛美礼拝では多くの皆さまにお越しいただき、盛大にクリスマスをお祝いしました。
上の写真はクリスマス賛美礼拝の第2部クリスマスコンサート(ゴスペル演奏)の様子です。
本ブログでは、クリスマス賛美礼拝の「メイキング編」として、礼拝の裏側をご紹介します。
賛美礼拝では、縁の下の力持ちである総務ヘルパーをはじめ、多くの生徒が活躍しています!

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午後13時に集合したヘルパーは早速、仕事開始です。
クリスマス賛美礼拝が始まるまでの時間、礼拝の準備を整えていきます。
上の写真はクリスマスツリーを移動しているところです。
ツリーの設置場所を賛美礼拝のために移し替えました。
その他にも礼拝堂ステージ周辺の細々としたものを整え、礼拝に備えました。
なお2015年の賛美礼拝のヘルパーはYMCAの部員・有志・中学宗教班で構成されています。

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写真は礼拝堂ロビーです。
ステージの整備に続いて、礼拝プログラムの用意をします。
プログラムに、ゴスペルの歌詞と訳詞を掲載したプリントと、捧げていただく献金の袋とを組み合わせます。
流れ作業で効率よく進め、短時間で終えることができました。


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再び礼拝堂の中に戻りましょう。

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礼拝堂の2階席では照明担当の生徒が準備をしています。
これからリハーサル・本番を緊張は続きますが、写真ではリラックスした表情を見せています。
照明担当は演劇部と有志の生徒が担いました。

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同じく礼拝堂の2階席です。
吹奏楽部の生徒が、演奏の準備をしています。
第2部クリスマスコンサートの最後を飾るゴスペルとの合同演奏「Joyful Joyful!」に備えます。
なお演奏には、吹奏楽部に、軽音楽部の生徒(ベース)加わっています。



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写真は宗教室の様子です。
届けられたクッキーをクリスマス用にラッピングする作業をしています。
クッキーは、礼拝後にお越しいただいた皆さまへのプレゼントです。
だんだんと礼拝開始の午後15時が近づいてきました。
再び礼拝堂を覗いてみましょう。

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礼拝堂では、ゴスペル演奏のリハーサルが行われています。
ゴスペルクワイヤーは本校生徒や保護者の皆さまなどで編成されています。
ディレクターは国友よしひろ先生です。
また今回はドラムス・ベース・キーボードの3人のバンドが伴奏をしてくださいました。
そして上の写真で注目していただきたいのは手前の献金台です。
クリスマスツリーの前に、礼拝で捧げていただいた献金を置く台を設置しています。
濃紺のクロスをかけ、キレイに整えることができました。
礼拝ではその献金の係として、留学生を含む有志の生徒が奉仕にあたりました(写真下)。

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クリスマスコンサートは、ゴスペル曲を6曲演奏し、大いに盛り上がりました。
「Oh Happy Day」では、会場の皆さんも大きな声で歌い、会場は熱気に満たされました。
そして合同演奏「Joyful Joyful!」でコンサートはフィナーレを迎えました。
演奏後も会場の熱気は冷めないまま、客席はスタンディングオベーションとなりました。
礼拝堂は参加者の一体感に包まれ、拍手はいつまでも鳴り止みませんでした。



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写真はコンサートの終了前の礼拝堂ロビー(左)と礼拝堂横の扉(右)です。
クリスマス賛美礼拝に出席した皆さんへお渡しするのプレゼントのクッキーを配る準備をするヘルパーです。
クリスマスの和やかで温かい雰囲気がよく映し出されている写真です。

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プレゼントは参加された皆さまにお渡しすることができました。
参加された皆さまにおかれましては、共にクリスマスのお祝いをすることができたと存じます。
またゴスペルで賛美を捧げるコンサートを楽しんでいただけたと思います。
本校のクリスマス賛美礼拝は3年目を迎えましたが、恒例行事として定着してきました。
来年も多くの皆さまとご一緒にクリスマスの喜びを共に分かち合いたいと思います。
なお本校では、中学・高校のクリスマス礼拝を迎えようとしています。
こちらでもよきクリスマスが迎えられることとでしょう。
そしてKGMブログの読者の皆さまにおかれましても、よきクリスマスが迎えられることをお祈りしています。

◆2015年クリスマス
第31回 関東学院クリスマスコンサートのご案内
クリスマスが近づいてきました
クリスマス点灯式
クリスマス献金
クリスマス賛美礼拝のご案内
クリスマス礼拝準備の様子
【明日】クリスマス賛美礼拝のご案内
クリスマス賛美礼拝をまもりました
クリスマス賛美礼拝の裏側(ヘルパーの活躍) ※本記事


クリスマス賛美礼拝をまもりました

12月12日(土)、本校礼拝堂にて「クリスマス賛美礼拝」が行われました。今年で4回目を迎えたこの礼拝は、在校生だけでなく、在校生の保護者の方や地域の方とともに行おうと始まったものです。今年もたくさんの方にお集まりいただくことができました。



第吃堯[蘿
  司会 本校在校生(6年生)
  奏楽 深野 基(本校音楽科教諭)
前奏
招詞   イザヤ書9章5〜6節
讃美歌  109「きよしこのよる」
聖書朗読 ルカによる福音書2章10〜14節
説教   「Glory and Peace」 伊藤 多香子(本校宗教主任)
祈祷
献金
祈祷
讃美歌  112「もろびとこぞりて」
祝祷
後奏



第吃瑤療喘罎如じザ發行われました。この献金は、多くの施設や団体の働きを覚えてささげます。今年度の献金送付先は以下の団体・施設です。
1. 日本基督教団 東北教区被災者支援センター・エマオ(東日本大震災支援)
2.(学)横浜訓盲学院(視覚障がい者福祉施設)
3.(福)恵和(知的障がい者福祉施設) 
4.(公社)日本キリスト教海外医療協力会(アジアの無医村地域での医療活動)
5.(社福)横浜いのちの電話(電話相談活動)
6.(特非)信愛塾(在日外国人教育生活相談センタ−)
7.(社福)日本医療伝道会衣笠ホーム(特別養護老人ホ−ム)
8. 日本キリスト教団 神奈川教区寿地区活動委員会(生活支援団体)
9.(特非)アジアキリスト教教育基金(バングラデシュの寺子屋支援団体)
10. 日本バプテスト連盟 国際ミッションボランティア・佐々木さんを支援する会
  (アフリカのルワンダ平和支援活動団体)
11. 日本バプテスト神学校
12. (福)汀会 止揚学園(知的障がい者の施設)
13. 日本キリスト教協議会教育部(プロテスタント諸教派の合同団体)
14.(福)幸保園(児童養護施設)
15.(福)三育福祉会 特別養護老人ホーム シャローム
16.(特非)さざなみ会 シャローム(地域活動支援センター、クリスマスクッキーの購入先)
17. 日本バプテスト海外伝道協会(タイ・カレン・バプテスト・コンベンションへの協力支援)
18.(学)聖坂学院(特別支援学校)
19. 全国キリスト教学校人権教育研究協議会
20.(学)日本聾話学校(キリスト教精神に基づいた日本で唯一の私立聾学校)
21.(宗)日本バプテスト同盟(ネパール大地震支援のために)


〜休憩〜

第局堯.リスマスコンサート
  司会 伊藤 多香子(本校宗教主任)
  ゴスペル演奏 ディレクター 国友よしひろ
      演奏 関東学院六浦ゴスペルクワイヤー
    「Every Praise」
    「We wish a Timeless Christmas」
    「The Night that Christ was Born」
    「My Life is in Your Hands」
    「The Blessing of Abraham」
    「Oh Happy Day」
  合同演奏 関東学院六浦ゴスペルクワイヤー
       関東学院六浦中高 吹奏楽部
    「Joyful Joyful!」



第局瑤蓮屮リスマスコンサート」と題して行われ、今年も国友よしひろ先生がディレクターをつとめてくださいました。国友先生は本校だけでなく様々学校で講師をつとめるかたわら、ゴスペルクワイヤーを結成し指導されていま
す。今回も本校で保護者・生徒を募り、「関東学院六浦ゴスペルクワイヤー」を作り、練習を重ねてきました。今回のステージも国友先生の軽妙な語りと、ゴスペルクワイヤーとプロバンドのコラボレーションで進んでいきました。

ゴスペルならではの迫力ある歌声、国友先生の詳しい解説により歌詞の意味を味わいながら聴くことができる魅力あふれるステージでした。「Oh Happy Day」では、観客とステージが一体となり、会場がまさしく幸せを分かち合いました。

最後は本校吹奏楽部とゴスペルクワイヤー、プロバンドとのコラボレーションで「Joyful Joyful」でした。ステージのクワイヤー、客席後方2階の吹奏楽部とが次々と移り変わる演奏に合わせて体の向きを変えて楽しんでいました。他では体験することのできない価値あるステージになりました。

毎年、少しずつ形を変えながら回を重ねてきたクリスマス賛美礼拝。ステージと客席との一体感はこれまで以上のものを感じさせてくれました。本校の年末の風物詩といってもいい行事になってきました。在校生のみで行うクリスマス礼拝のような、ページェントや十字架行進を中心とした厳かな礼拝も素晴らしいですが、この賛美礼拝のように、一般の方も交えて楽しく過ごす礼拝も、これからも大切していきたいと思います。

ご来場いただいた皆様、本当にありがとうございました。

いよいよクリスマスはもう目の前。
このブログを読んでくださっている皆様も素敵なクリスマスをお迎えください。


Merry Christmas


【明日】クリスマス賛美礼拝のご案内

明日です!本校でクリスマス賛美礼拝をまもります。

世界で始めのクリスマスには、クリスマスツリーも、おいしいご馳走も、辺りを照らすろうそくさえありませんでした。しかしそこには、わたしたちが生きるときにもっとも大切で必要なものが満ちあふれていたのです。それは「愛」です。クリスマスに、皆がその愛を喜び、感謝と喜びに満ちた讃美歌を歌います。



昨年度の様子はこちらのブログをご覧ください。

本校では、今年も地域の皆さまと共に、クリスマスのお祝いをする礼拝をささげ、本校ゴスペルクワイヤーの賛美と、吹奏楽部とのコラボレーションによる演奏もご用意しております。

どうぞ奮ってご参加ください。クリスマスの喜びが、皆さまと共にありますように祈りつつご案内いたします。

クリスマス賛美礼拝(入場無料 申込制)
と き 2015年12月12日(土) 15:00〜17:00 (開場14:30)
ところ 関東学院六浦中学校・高等学校礼拝堂


プログラム
<第吃堯筺[蘿辧Glory and Peace」
        本校宗教主任 伊藤 多香子
<第局堯筺.リスマスコンサート「Oh Happy Day 他」
        関東学院六浦ゴスペルクワイヤー with 国友よしひろ
        関東学院六浦中学校・高等学校 吹奏楽部
参加申込 こちらのページで申込を受け付けています。

※ 駐車場の用意はありません。自家用車でお越しの方は近隣の有料駐車場をご利用ください。
※ 車椅子でご来場の方は、事前に本校までご連絡(045−781−2525)ください。
※ 当日献金を集めます。集めた献金は、東日本大震災復興支援やキリスト教の福祉施設等へ送ります。 ご協力お願いします。


クリスマス賛美礼拝のご案内

来週の土曜日、クリスマス賛美礼拝をまもります。

世界で始めのクリスマスには、クリスマスツリーも、おいしいご馳走も、辺りを照らすろうそくさえありませんでした。しかしそこには、わたしたちが生きるときにもっとも大切で必要なものが満ちあふれていたのです。それは「愛」です。クリスマスに、皆がその愛を喜び、感謝と喜びに満ちた讃美歌を歌います。



昨年度の様子はこちらのブログをご覧ください。

本校では、今年も地域の皆さまと共に、クリスマスのお祝いをする礼拝をささげ、本校ゴスペルクワイヤーの賛美と、吹奏楽部とのコラボレーションによる演奏もご用意しております。

どうぞ奮ってご参加ください。クリスマスの喜びが、皆さまと共にありますように祈りつつご案内いたします。

クリスマス賛美礼拝(入場無料 申込制)
と き 2015年12月12日(土) 15:00〜17:00 (開場14:30)
ところ 関東学院六浦中学校・高等学校礼拝堂


プログラム
<第吃堯筺[蘿辧Glory and Peace」
        本校宗教主任 伊藤 多香子
<第局堯筺.リスマスコンサート「Oh Happy Day 他」
        関東学院六浦ゴスペルクワイヤー with 国友よしひろ
        関東学院六浦中学校・高等学校 吹奏楽部
参加申込 こちらのページで申込を受け付けています。
     申込みをされた方には、順次参加証を発送しています。

※ 駐車場の用意はありません。自家用車でお越しの方は近隣の有料駐車場をご利用ください。
※ 車椅子でご来場の方は、事前に本校までご連絡(045−781−2525)ください。
※ 当日献金を集めます。集めた献金は、東日本大震災復興支援やキリスト教の福祉施設等へ送ります。 ご協力お願いします。


収穫感謝礼拝を献げました

本校では、高校生が11月18日(水)、中学生が翌日の19日(木)に収穫感謝礼拝を献げました。
本ブログでは18日に行った高校生の礼拝の様子と宗教委員が行っていた献品の受付の様子を紹介します。


キリスト教のカレンダーでは、1年を振り返り、神さまから与えられた恵みに感謝する季節となりました。
与えられた恵みに感謝をするのがこの『収穫感謝礼拝』です。本校では生徒・教職員が一緒になって献げました。
この日の礼拝には講師として日本キリスト教会横浜海岸協会の上山修平牧師をお呼びしてお話をしていただきました。
礼拝堂のステージにはみなさまからの献品である果物やお米が所狭しと並んでいました。


始めに黙祷を捧げ、全員で讃美歌90番を賛美しました。
続いて宗教主任による聖書の朗読です。

新約聖書 マタイによる福音書 20章1節〜16節 『ぶどう園の労働者』のたとえ

 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。
 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。
 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、
 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。
 それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。
 五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、
 彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。
 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。
 そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。
 最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。
 それで、受け取ると、主人に不平を言った。
 『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』
 主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。
 自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。
 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』
 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」


聖書朗読の後、上山牧師からお話をいただきました。
◎お話の要約
 今回の聖書の箇所を選んだ理由は昔経験した出来事がきっかけでした。
研修の一環で日雇い労働を経験した際、そこで出会った人々はその日に仕事を貰えるかどうかで、その日の生活が決まっていました。その人々は仕事が貰えれば、その日の泊まる宿とご飯が約束されます。しかし、仕事が貰えないと野宿をしないといけません。そこにあったのは約束されたことで得られる『平安』と約束されないことで募る『不安』です。
 この聖書の箇所では、最初から働いていた人々と後から少しだけ働いた人々が『貰った賃金』は同じでした。しかし、最初から働いていた人々には賃金以外にも『その日の生活が出来る』という平安が朝から約束されていたのです。それに対して夕方から少しだけ働いた人々は同じ賃金は貰えたが、夕方まで仕事が貰えずにいたので『今日をどう過ごせばいいのか』という不安がずっとあったのです。両者は与えられた賃金は同じでも、それ以外のことを考えたときに決して同じではなかったのです。
 我々人間は与えられた物(恵み)を当たり前のように思ってしまい、忘れがちです。例えどんな状況でも神さまは常に我々に愛情を注いでくれています。与えられている物に目を向けず、無い物ばかりに目を向けるのではなく、まず『何が自分に与えられているのか』を考えるべきです。

以上のようなお話をいただきました。
短い時間でしたが、上山牧師のお話はとても考えさせられる内容でした。貴重なお話をありがとうございました。
生徒たちは勿論、我々教員も『何が自分たちに与えられていて、何が出来るのか』ということをもっと真剣に考えないといけないと思いました。


本校の収穫感謝礼拝では、みなさまから献げられました果物、お米を以下の4つの施設にお届けします。
献品の受付、献品をステージに並べる作業は宗教委員の生徒が行ってくれました。お疲れ様でした。
また、たくさんの献品のご協力ありがとうございました。
写真は朝の献品受付の様子です。


◎献品を届ける施設
・聖星学園
・幸保愛児園
・寿地区センター
・横浜訓盲院


収穫感謝礼拝のお知らせとお願い

11月18日(水)、19日(木)に行われる『収穫感謝礼拝』についてのお知らせとお願いです。

キリスト教のカレンダーでは、1年を振り返り、神さまから与えられた恵みに感謝する季節となりました。
毎年この季節に『収穫感謝礼拝』を生徒・教職員が一緒になって献げます。
この礼拝では、みなさまから献げられました果物、お米を4つの施設にお届けします。
礼拝の日程、献品の受付日・種類、届ける施設は下記にある通りです。

○収穫感謝礼拝
・高校…11月18日(水)
・中学…11月19日(木)

○献品を集める日時
・11月16日(月)〜18日(水) 朝7:50〜8:20 事務室前

○献品の種類
・果物(ただし、いたみやすいものは不可)
・お米

○届ける施設
・聖星学園
・幸保愛児園
・寿地区センター
・横浜訓盲院

ご参考のうえ、ご協力お願い致します。


以下の写真は昨年度の礼拝の様子です。


創立記念特別伝道礼拝

10月7日(水)に創立記念特別伝道礼拝を行いました。
今年は、ウガンダの親を失った子供たちによるアフリカン・ゴスペルグループである
"Watoto"をお招きしました。本ブログでは、その礼拝のお話の一部をご紹介します。



"Watoto"は子供をお世話するチャイルドケアプログラムです。この働きは、教会をベ
ースにしたもので、地域の行政(警察署、教会)など様々な人たちの支援を受けて組
織と協力して行っています。ただし、助けを必要としている子供たち(孤児)のため
の働きです。
本校に来てくれた子供たちは、片親しかいなかったり両親が共にいなかったり、一度
も親に会ったことがない子供たちです。道などで拾われ、Watoto村でお世話をしてい
ます。
子供たちは、Watotoでの新しいお母さんや兄弟、姉妹と1つの家で暮らすようになり
新しい家族を形成し、質の高い生活をするようになります。これは、神様によって新
しく命をいただいたと考えることができます。

Watotoの子供たちはWatotoで生活するようになり夢を持つようになりました。その夢
を実現させるためには支援が必要です。コンサートに来てくださったり、寄付してく
ださること、また彼らが作成したCDやDVDを購入してくださることによって彼らを育
てることが出来ます。よろしければ、是非またコンサートに来てください。



以上、礼拝の一部をご紹介させていただきました。
"Watoto"は笑顔と希望にあふれたコンサートを通して世界中の人々に感動を与え、ア
フリカと世界の架け橋として活躍し続けています。本校でも綺麗な賛美とキレの良い
ダンスを見せていただくことが出来ました。ありがとうございました。
只今、関東ツアー中で本日も横浜市内でコンサートを行う予定なので、ご都合がつき
ましたら、是非一度足を運んでみてください。

10月15日(木) みどり野キリスト教会 【入場無料】 16:00〜17:00, 19:00〜21:00
横浜市青葉区すすき野2−6−16   TEL 045-902-7898


春季特別伝道礼拝をまもりました

6月18日(木)、本校礼拝堂にて春季特別伝道礼拝(花の日礼拝)をまもりました。
高校生は1時間目、中学生は2時限目に礼拝を行いました。
特別伝道礼拝ということで、写真家・ノンフィクション作家として活躍されている桃井和馬さんを講師としてお招きし、メッセージをいただきました。
本ブログでは、高校生の礼拝の様子を紹介します。



礼拝堂ステージには生徒たちが持ち寄った花が飾られていて、普段とは違った雰囲気の中で礼拝が行われました。



黙祷を捧げ、全員で讃美歌第二編26番「ちいさなかごに花をいれ」を賛美しました。
続いて宗教主任による聖書の朗読です。

  体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。
  足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
  耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
  もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。
  そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。
  すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。
  だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。
  目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えま
 せん。
  それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。
  わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい
 部分をもっと見栄えよくしようとします。
  見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組
 み立てられました。
  それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。
  一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶので
 す。
  あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。

                             (コリントの信徒への手紙 一 12章14節〜27節)

聖書朗読の後、桃井さんからメッセージをいただきました。


桃井さんのお話は、ご自身が世界各地で実際に撮られた写真をスクリーンで紹介しながら、その地で暮らす動物や植物の特徴を説明して下さる、という内容でした。

世界には様々な生物がいて、皆、その地で生き抜く為の知恵を持っています。

例えばアフリカ像は、他の地に生息する像に比べて耳が大きく、肌のシワが多い。これはアフリカの灼熱の暑さに耐えれるように、シワの多い肌には泥をすりつけて熱から身体を守り、大きい耳には多くの血管が通っていて、耳を動かすことで血管を冷まし身体全体を巡回させて体温を下げる、といった意味がある。

ヤドクガエルは自らの身体に毒を持つことで、天敵のヘビから身を守る。また、ヘビは他のカエルは捕食してもヤドクガエルは捕食しない。

栄養が少ない大地に咲く食虫植物は、虫を誘い込んで捕獲し、虫から栄養を吸収する。

アフリカには大量の枯葉や折れた枝などがあり、バクテリアだけでは消化しきれない量である。普段我々から煙たがられるシロアリは枯葉をよく食べる生き物で、持ち前の繁殖力も含めてアフリカに生息しているシロアリはこの地では欠かせない存在である。

以上は紹介して下さったお話の一部です。また、桃井さんはこのようにもおっしゃっていました。

『人間は、自分たちが偉いもの、強いものだと思いがちだが、決してそんなことはない。世界は強いものだけでは成り立たない。弱いもの、劣っているものにも意味、役割がある。それらのお陰で我々人間は生かされている。』

これはとても当たり前のことですが、見失いがちなことなのかもしれません。他の生き物と同様に、我々一人一人にも大事な役割があり、一人一人が欠かせない存在なのです。桃井さんはご自身の目で確かめた貴重な体験談から、このことを我々に再度教えて下さいました。

今回のこの礼拝での奨励題は、高校生が「君たちが必要だ!」、中学生が「暗闇の中の光」でした。生徒たちには、桃井さんからのメッセージの意味をしっかりと考え、今後の生活においていかしてほしいと思います。


講師:桃井 和馬 氏
写真家、ノンフィクション作家。これまで世界140ヵ国を取材し、「紛争」「地球環境」などを基軸にして、
独自の切り口で「文明論」を展開。講演・講座の他、テレビ・ラジオ出演多数。第32回太陽賞受賞。
公益社団法人「日本写真家協会」会員。桜美林大学特任教授。主要著書に「もう、死なせない!」(フレーベル館)、
「すべての生命 (いのち)にであえてよかった」(日本キリスト教団出版局)、「妻と最期の十日間」集英社、
「希望の大地」(岩波書店)、他多数。


なお礼拝後には、礼拝堂に飾られた花や寄せられた献品を携えて、本校の2年生たちが、交流のある下記の福祉施設や学校を訪問しました。訪問の様子については コチラ をご覧ください。

◆施設訪問訪問先
  1.恵和学園(知的障がい者福祉施設)
  2.横浜訓盲院(視覚障がい者福祉施設)
  3.共楽荘(特別養護老人ホ-ム)
  4.上郷苑(老人福祉施設)
  5.聖坂養護学校(特別支援学校)
  6.ハマノ愛生園(老人福祉施設)
  7.富岡はまかぜ(特別養護老人ホ-ム)
  8.聖星学園(知的障害者福祉施設)
  9.わかたけ富岡(特別養護老人ホ-ム)
  10.シャローム(特別養護老人ホーム)


ペンテコステ礼拝

本校は5月28日(木)・29日(金)で、
ペンテコステ礼拝を行いました。



5月28日(木) 中学 礼拝
説教「新しい戒め」
聖書 ヨハネによる福音書 13章31節〜35節

 新入生の方々にとっては、キリスト教というものに、この学校に来て初めて接したという人が多くいらっしゃると思いますが、難しく考えることはありません。ここにこんなに大きな聖書が置かれています。これを、キルケゴールという哲学者は、こう言いました。「これは、わたした一人ひとりに送られてきた、神によって書かれたラブレターだ」と。こんなに分厚い、これはラブレターなんだ、神様がわたしたちをこんなに愛しておられるのだ、その証なんだ、それが聖書なんだよ、と言うんですね。じゃあ、その神様の愛というのは一体どのようなものなのか。先ほどお読みした箇所に「新しい戒め」という言葉があります。
 この新しさというのは、人類が全く初めて出会う「新しさ」なのです。それ以前には、こんな戒めは知らなかった。この新しい戒めには、「わたしがあなた方を愛したように、あなた方も愛し合いなさい」というものです。この「わたしがあなた方を愛したように…」というのが、神の愛のことです。それはあなた方一人ひとりが誰も滅びないように、罪の奴隷とならないように、いつまでも苦しみや悩み、悲しみの中に閉じ込められ続けていないように、ご自分が犠牲となってあなたの苦しみを担い、私たちの罪を、私たちに代わって「死んでくださった」というイエスの十字架の死に極まる愛のことです。
 ヨハネ第一の手紙 3章16節を見ますと、そこにはこのように書かれています。「イエスは、私たちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、私たちは愛を知りました。だから、私たちも兄弟のために命を捨てるべきです」とあり、これが新約聖書が教える「愛」の姿なのです。
 私たちの知っている愛は、大抵が相手の持っている価値に向けられた愛ではないですか。あの人は綺麗だとか、あの人は優しく男らしい人だとか、あの人はすばらしい才能やたくさんの財産を持っているとか…。しかし、これらは実は自己中心的な愛です。そのような愛は必ず、相手を自分の中に取り組んでいく愛です。決して、相手に自分を与えるということにならない。これは一歩間違えれば非常に危険です。
 しかし、主イエスがここで「あなた方も互いに愛し合いなさい」と言われていることは、ご自身が示し給うた「愛」と同じ性格の愛をもって、私たちが互いに愛し合うことを期待なさっているということです。
 なんと言おうと、これは恵みの言葉です。私たちにとって例え、それが厳しい命令として聞かれたとしても、聖書ではその前提に必ず前提があるのです。
 「互いに愛し合いなさい」と言われる時、「私があなた方を愛したことを、そしてこれからもずっとあなた方と終わりの日まで共にいて愛し続け、許し続けている、そのことを知っていなさい」ということです。それから、もし、あなたが傷つけた人、あなたが裁いた人、あなたが暴力をふるった人、あなたが無視した人、それらの人の痛みを、その人がどんなに苦しんでいるか、どんなに悲しんでいるか、それが分からないなら、想像出来ないのなら、私の十字架を見なさい。この十字架の上で流している血と涙を見なさい、これはあなたがいじめている彼や彼女のその苦しみでもあるのだ。そのことを知りなさい。そうすれば、主イエスがご自分の命を犠牲にしてまで、私たちを愛し抜かれたことを知って、あるいはそれ故に「あなた方も、互いに愛し合いなさい」「愛し合えるはずではないか」と。そのように主イエスは言われるのです。ほんの少し、些細なことであっても、ちょっと自分の時間を犠牲にして、友達を助ける、ちょっとした犠牲、これが大切なことです。
 さて、時間が来てしまいました。この町に今話したキリストの愛が告げ知らされているということです。教会はキリストの体です。キリストは教会を通してご自分を表しておられるのです。ですから是非、教会での交わりを経験し、互いに愛し合うことを学んでもらいたいと願っています。



5月29日(金) 高校礼拝
聖書 申命記 31章7節〜8節

 今朝は、今読みました旧約聖書申命記31章7節から8節に目を留めたいと思います。旧約聖書の出エジプト記は聖書の時間にもう勉強なさいましたか。
 エジプトで奴隷として重労働させられていたイスラエルの人々を解放し、モーセを指導者として、イスラエルの人々を約束の土地カナンへと導き入れるという物語です。
 しかし、今まさにヨルダン川の東側にあって、カナンの地、今で言えばパレスチナを目の前にして、モーセはヨシュアに命ずるのです。自分はカナンの地に入れない、「あなたがこの民と共に、行きなさい」と、そして付け加えます。8節「主は自らあなたに先だって行き、またあなたと共におり、あなたを見放さず、見捨てられないであろう。恐れてはならない、おののいてはならない」と。ヨシュアは今日から、人々をまだ一度も見たことのない土地に安全に導き入れるという任務を遂行しなければならないのです。重大な責任を託されたのです。
 私たちは将来、皆が皆、ヨシュアのような指導者として立たされ、用いられるわけではないとしても、主なる神は、神のご計画に従って、私たちを選び、私たちを一人ひとり見込んでくださり、私たちを用いてくださいます。そういう意味においては私たちもヨシュアと同じように、いつでも新たな試練の前に立たされ、あるいは新たな困難に日々直面しながら、人生という度を続けていかなければならない、そういう者たちです。
 モーセはヨシュアに「恐れるな」と命じます。なぜなら、「主、みずからが、あなたに先だって、いくべき所へ導いてくださり、また、どんな苦難の時にあっても、あなたと共にいてくださり、もうお前には愛想が尽きたとか、お前にはもうこれ以上期待出来ないなどといって、あなたを見放すようなことは決してなく、どんなことがあっても見捨てるようなことはなさらない方であるからだ」という確信を述べるのです。
 神による救いの約束が、今歴史においていよいよ実現しようとしている。その新たな出発点において、語られた言葉です。
 今日まで指導してくれた、民族の父といってもいいモーセは、これからイスラエルが経験する新しい歴史の始まりを前にして、もう自分達と一緒にいてくれないのです。これからはモーセなにでやっていかなければならない。そのような「不安」と「おののき」の中にあって、「恐れるな、主がいてくださる」と語りかけるのです。「あなたを見放さず、見捨てられない」という神への信頼です。
 そのような揺るぎない信頼を持つことの出来る人間は本当に強いのです。それと同じことを、主イエスも弟子達に言われました、「思い煩うな」と。今、自分が否応なしに抱え込んでいる重い課題、自分の今の生き方に対する不安、そういうことで思い煩うな。
 とりわけ責任感の強い人は、自分こそが最後の始末をつけなければならないと思い込む。そういう時、人は「思い煩う」でしょう。もちろん主は「責任感」でいろ、などといわれていないのは当然のことであります。そうでなくて、主イエスが禁じておられるのは、「思い煩い」に身をすり減らし、不安におののく、ことです。これらは私たちの人生から「喜び」を取り去ってしまうからであります。
 そうではなくて、思い煩いから解放されないと、主はそのように言われます。なぜ、「思い煩わない」で良いのか。それはここでも「約束」という言葉がキーワードとなります。どのような約束か、それは皆さんが聖書の時間に発見していってください。


イースター礼拝をまもりました

本校では、中学生が14日(火)に、高校生が15日(水)にそれぞれイースター礼拝をまもりました。



イースターはキリスト教の暦でイエス・キリストの復活を祝う日です。数ある宗教行事の中でも、イースターは、本校が大切にしている宗教行事のひとつです。

今年度のイースター礼拝は、日本基督教団逗子教会の小宮山剛牧師をお招きし、お話をしていただきました。


本ブログでは、中学生の礼拝でのお話を紹介します。

聖書 マタイによる福音書28章1節〜10節
さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、 あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」 婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。 すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。 イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」

お話の内容
 みなさんは「イースターって何?」って聞かれたことはありませんか?そのとき、なんと答えますか?私が住んでいる逗子の、あるスーパーのチラシに「春の味覚で祝うイースター・復活祭」と書かれていました。なにかと思って見ると、それはたまごや、たまご料理の特売の案内でした。そしてそこにこう書かれていたんです。「イースターとは?‥‥イエス・キリストの復活を祝い、記念する日です。復活祭とも言われます。」
 さらにその下に、「復活祭とたまごの関係‥‥ヒヨコがたまごの殻を破って出てくるように、キリストも死という殻を破ってよみがえられました。そういうことから、新しい命をもつ『卵』が復活のシンボルとされています。」
 みなさん、この説明は合ってますか?間違っていますか?
 大正解ですね。まことに短く、しかも適切な説明です。私でも、もしかしたらこれほど簡潔に説明できないかもしれません。本当に感心しました。
 さて、卵は親のニワトリがあたためていれば、やがてヒヨコが生まれます。でも、教会のイースターで配るたまごは、ゆで卵です。ゆで卵をいくらニワトリがあたためても、ヒヨコは生まれませんね。ひながかえることはあり得ません。ではなんで教会ではゆで卵を配るのか、ということですが、そのあり得ないことが起こった、というのがイエスさまの復活だからです。
 イエスさまは、イエスさまを憎む人たちによって、十字架という死刑台にかけられて死んでしまわれました。死んだら終わりになります。ですから、イエスさまを信じて、ついて来た弟子たちも、「終わった」と思いました。残念ですが、弟子たちは解散して、家に帰るしかありません。イエスさまのお話は終わったのです。
 ところが、イエスさまが死んで墓に葬られてから三日目の日曜日の朝のことでした。イエスさまのお墓に行った女性の弟子たちのところに天使が現れ、イエスさまがよみがえった、生きていると告げられたのです。
 女性の弟子たちは、もうびっくりして何が何だか分からなくなりました。そしてその天使たちが言ったように、他の弟子たちのところにこのことを言うために墓場から戻っていきました。すると戻っていく途中に、よみがえったイエスさまに出会ったのです。そしてイエスさまは、彼女たちに「おはよう!」とおっしゃいました。それは、みずみずしい、復活のイエスさまの姿でした。
 こうして、イエスさまのお話は、終わりではなくなりました。新しい、始まりとなったのです。
 まず、イエスさまを信じる時、死は終わりではないことが分かります。そして、私たちも、「もうダメだ」「終わりだ」と思うことがあるかもしれませんが、それはイエスさまにとっては終わりではないよと、私たちに教えています。
 弟子たちは、イエスさまが死んで、「終わった」と思いましたが、よみがえったイエスさまに出会って、喜びに満たされ、教会が誕生しました。つまり教会もイエスさまの復活があったからできたんです。
よみがえったイエスさまは、私たちが望むなら、共に歩んでくださる方です。このことを覚え、新しい気持ちで歩んでいきたいと思います。

キリスト教主義学校の本校では、このように日々の学校生活の中における宗教行事を大切にしています。聖書の言葉に耳を傾け、生徒の心が清く豊かに育つよう日々見守っています。



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