ページェント練習風景

クリスマス礼拝に向けて、生徒たちによる練習が日々校内で行われています。

今回の取材では、イエス・キリストの誕生をお祝いする降誕劇「ページェント」の取材をしました。

まずページェントは、イエスの母マリアが大天使ガブリエルの預言を受けるところから始まります。
マリアは天使の登場に驚きますが、自分が救い主を身ごもっていることを聞き、喜びで満ち溢れます。
マリアはそのことを夫であるヨセフに伝えますが、ヨセフも初めはマリアの言っていることに驚き信じ
ることができませんでしたが、天使が彼の前に登場し、ヨセフに救い主の預言をしたことによりマリア
の妊娠を心から祝福しました。



天使から御告げを受けたマリアは、その後住民登録のためにベツレヘムに行きます。ベツレヘムに着きそ
の日の夜を過ごすための宿屋を二人は探します。しかし、宿屋はどこもいっぱいで、二人を泊めてくれる
宿はありませんでした。身重なマリアを連れたヨセフが途方に暮れているところ、最後に尋ねた主人が馬
小屋を二人に貸してくれました。

そのころ羊飼いたちは荒野で休んでいました。そこに天使たちが訪れ、羊飼いたちに救い主が生まれたこ
とを預言しました。羊飼いたちは急に現れた天使たちに恐れていましたが、救い主の誕生の知らせを聞く
と喜びの表情に変わり、すぐにベツレヘムへと向かいました。

3人の博士は救い主の誕生の知らせを聞き、ヘロデ王のもとを訪れたのち、黄金、乳香、もつ薬を持って
イエスの誕生を祝いにベツレヘムへと出かけます。

羊飼いと博士はベツレヘムに着くと、ヨセフとマリアのいる馬小屋を訪れました。馬小屋には飼い葉桶に
寝ている生まれたばかりの救い主イエスの姿がありました。馬小屋に訪れた者は皆救い主の誕生を喜び祝
福しました。



礼拝でページェントを担当する生徒たちはこのイエスの誕生の話をもとにそれぞれの役を演じます。立ち
位置や衣装合わせなどの確認を練習では行いました。まだ全体リハーサルなど数日間練習は続きますが、
よいクリスマスの時となるように今後の練習も参加される生徒の皆さんはぜひ頑張ってください。


全校放送礼拝(12月1日)

11月30日(水)から3日間、本校の朝の礼拝は全校放送礼拝です。
本日はその2日目、河合校長のメッセージをご紹介します。
どうぞお読みください。




◆讃美歌 114(天なる神には、みさかえあれ)


◆聖 書 マタイによる福音書7章9節〜12節

   あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。
  魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者
  でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、
  あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。だから、
  人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。



◆メッセージ

 今日から12月に入りました。教会の暦では「アドベント」といってイエス・キリストの
誕生を迎える備えの時に入っています。
 イザヤ書に、次のような聖句があります。

  ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
  ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
  権威が彼の肩にある。
  その名は、「驚くべき指導者、力ある神
  永遠の父、平和の君」と唱えられる。
(イザヤ書9章5節)

 私たちは、イエスの誕生が全世界の人々に救いをもたらし、争いやねたみから生まれる憎
しみを取り除いてくださる「平和の君」としてその誕生を祝うわけです。





 「クリスマス」というと、どこか温かい、また私たち大人にとっては子供時代の懐かしい
思い出の一こまとして受け止める傾向にありますが、イエス・キリストが誕生した時は、世
の中は決してそのようなノスタルジックな世界ではありませんでした。そして、ノスタルジ
ックでないということは、現代においても言えることです。
 民族間の争いの中で、多くの人々の命が奪われ、また多くの子供たちがその惨禍のなかで
傷つき倒れています。言語に絶する苦悩と悲痛に満ちた顔と姿の子供たちが現実に今も存在
しているのです。
 そういう子供たちに対して、私たちは何ができるのでしょうか?


 ここに一冊の本があります。今から27年前、1983年に出版された『人間の大地』と
いう書物です。作者は犬養道子、5・15事件で殺された総理大臣、犬養毅の孫になります。
犬飼道子さんは世界中の難民孤児たちのために、今もなお貴重なお働きを続けていらっしゃ
います。私は、この本を初めて読んだ時、目を覆いたくなるような悲惨な記録の連続に強い
衝撃を受けました。





 1979年12月、インドシナの難民キャンプ。
 そこで犬飼さんは「子供でなくなってしまった子供」と出会います。カオイダンという所
のキャンプ内の病院テントにその子はいました。ひとりぼっち。親は死んだか殺されたか、
はぐれたか、兄弟姉妹はいたのか死んだのかわかりません。一言も口にしないでただ空を見
つめたままの子供です。
 衰弱しきったからだは熱帯性の菌にとっては絶好の獲物でしたから、その子はいくつもの
病気をもっていました。国際赤十字の医師団が必死になって打てるだけの手を打ったのです
が、ついには「衰弱して死んでゆくしか残っていない」と、匙を投げざるを得ませんでした。
子供はもう、薬も流動食も全く受け付けない状態でした。
 その子供は、幼心に「これ以上生きていて何になる」そういう絶望を深く感じていたので
はないかと犬飼さんは思ったそうです。


 そんな時、一人のアメリカ人ボランティア青年が、名前をピーターと言いますが、医者が
匙を投げたその時からその子供をしっかり抱きしめることを始めたのです。子供の頬をなで、
接吻し、耳元で子守歌を歌い、二日二晩、彼は用に立つ間も惜しんで全身を蚊に刺されても
動かず、その子供を抱き続けました。そして三日目になりました。空を見つめたままの子供
は、なんとピーターの目をじっと見てにっこり笑ったそうです。
 犬飼さんは、「自分を愛してくれる人がいた。自分を大事に思ってくれる人がいた。自分
はだれにとってもどうでもいい存在ではなかった」、この意識と認識が、無表情の石のごと
くに閉ざされていた子供の顔と心を開かせたと言います。
 ピーターは、喜びと感謝のあまり、泣きながら、それでも勇気づけられて、食べ物と薬と
を子供の口に持っていきました。そして子供はそれを食べました。
 絶望が希望に取って代えられた時、子供は食べ、薬を飲み、そして生きたのです。





 イエス・キリストが私たちに示したものそれが先ほど読んだ聖書の言葉なのです。
「自分がいま、その立場にいたとしたら、何を人からしてもらいたいか、してもらいたいと
望むであろうことを、相手がだれであれ、いま、行え。愛とはそれよ」とキリストは語って
いるのです。
 抱きしめるという、ただそれだけの行為が、一人の子供の命をよみがえらせました。快復
が確実なものとなった時、セクションの主任がその子供をなでながら「愛は食に優る、愛は
薬に優る」と言ったそうです。「愛こそは最上の薬なのだ、食なのだ、この人々が求める者
はそれなのだ」。山の彼方から銃声が聞こえ、土埃のもうもうと吹きまくっていたカオイダ
ンで犬養道子さんはそう確信したと言います。


 人間は皆、自分の存在を絶対的に認めてくれる、人としての温もりを求めています。誰か
に抱きしめてもらいたいという思いを持っています。イエス・キリストの誕生を祝うこの時、
私たちにできることは少しかもしれませんが、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさ
い」
という言葉に思いを寄せることができればすばらしいと思います。
 お祈りいたします。


◆祈 祷







クリスマス点灯式

クリスマスまで残すところ約1カ月となり、キリスト教主義学校の本校でもクリスマスを
お祝いする準備が着々と進行しています。

早速本日の中学部礼拝では、クリスマスの讃美歌として有名な103番が歌われました。

<歌詞>
牧人ひつじを 守れるその宵、
たえなるみ歌は 天よりひびきぬ。

喜びたたえよ、主イエスは生れぬ。

どうでしょうか。聞き覚えはございますか?

さて、今日は夕方16:30から点灯式が行われました。

○プログラム○
1.前奏(独唱) 「アベマリア」 シューベルト作曲


2.招詞 イザヤ書11章1節〜5節
エッサイの株からひとつの芽が萌えいで
その根からひとつの若枝が育ち
その上に主の霊がとどまる。
知恵と識別の霊
思慮と勇気の霊
主を知り、畏れ敬う霊。
彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。
目に見えるところによって裁きを行わず
耳にするところによって弁護することはない。
弱い人のために正当な裁きを行い
この地の貧しい人を公平に弁護する。
その口の鞭をもって地を打ち
唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる。
正義をその腰の帯とし、真実をその身に帯びる。


3.讃美歌 103番一同

4.聖書朗読 ルカによる福音書2章1節〜7節
イエスの誕生
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよと勅令が出た。これは、キリ
ニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録する
ためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガ
リラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもってい
た、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるう
ちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には
彼らの泊まる場所がなかったからである。

5.メッセージ 「飼い葉桶の救い主」

6.祈祷
7.点灯



8.讃美歌 112番一同
もろびとこぞりて むかえまつれ、
久しく待ちにし 主は来ませり、
主はきませり、主は、主はきませり

9.祝祷

10.後奏

本校の各所に飾られたイルミネーションの明りが灯され、校内もいよいよクリスマス一色といった雰
囲気です。クリスマスのイルミネーションはもう日本の街頭でも定番ではありますが、この明りのも
ともとの由来は救い主の誕生を喜ぶことにあります。

どうぞ救い主が生まれたこのクリスマスのときに、愛をもって周囲の人々と温かいひと時を過ごし、
心にもイルミネーションに負けないくらいの温かい愛の灯をともしましょう。

Let your light so shine before men, that they may see your good works
and glorify your Father in heaven.


収穫感謝礼拝

本日朝の中学礼拝では、収穫感謝礼拝が守られました。

収穫感謝礼拝はアメリカの感謝祭を起源とし、日ごろの食べ物、また食べ物を作ってくださる
方々に感謝する礼拝です。礼拝堂には生徒から寄せられた果物やお米などが並べられました。
これらの食糧は、 以下の施設に届けられます。
 _I遊洩娜 併覲仂祿啓塋〇禹楡漾
 ∪酸嘘惘燹蔽療障碍者福祉施設)
 9保愛児園(児童養護施設)
 ぜ地区センター(生活支援施設)
果物やお米を献品して下さいました生徒、保護者の皆様、ご協力ありがとうございます。



講師に日本基督教団林間つきみ野教会の北村裕樹牧師をお招きして、日々の食糧に対する感謝の
心について分かち合って頂きました。日々の与えられた糧に感謝するとともに、日々の出来事や
支えて下さる周りの方々にも感謝の意を表していくことの大切さを学ばさせていただきました。

日ごろのあわただしい生活の中では、何気ない日常の小さな感謝に目をとめるのは難しいことで
すが、皆様がこの収穫感謝のときに心を落ち着かせて小さな幸せに喜び感動できることを心から
願い、お祈り申し上げます。


宗教改革記念礼拝

本日、16世紀にマルチン・ルターによって行われた宗教改革を記念して、宗教改革記念礼拝を
プロテスタント主義の本校でも執り行いました。

ゲスト講師に鎌倉恩寵教会の荒井仁先生をお招きして、ルターによる宗教改革がキリスト教において
どういった影響をもたらしたのかを、わかりやすくお話して頂きました。

まずルターが作詞した讃美歌267番を歌い、礼拝を始めました。



♪讃美歌267番 1番♪

神はわがやぐら、わがつよき盾、
苦しめるときの 近きたすけぞ
おのが力 おのが知恵を たのみとせる
陰府の長も などおそるべき



次に聖書朗読です。
箇所は新約聖書ルカによる福音書11章1節〜4節の「主の祈り」のところでした。



「主の祈り」の中に「わたしたちに必要な糧を毎日与えて下さい。」という一文があります。
荒井先生はここの一節から、本当の「平和」とは何かということをわかりやすく分かち合ってくだ
さいました。食事を取るということは、日常においてごくごく当たり前のことです。
しかし、私たちが実際に食べ物を前にするまでには、数々のプロセスがあり、目には見えない人の
働きがあります。食べ物を作る農家の方、食べ物を運んで下さる方、食べ物を調理する方など、
「目の前に食べ物がある」ということは、様々な人々が関わり、つまりは社会が平和な状態である
ということを意味します。

宗教と聞くと、私たちはどこか日常と切り離れた高尚で難解なものと考えてしまうことがあります。
しかしルターは宗教改革を通じて、キリスト教に示されるイエスの教えが日常生活と密に関わりがあ
ることを示しました。これこそが、まさに上の「主の祈り」に代表される事柄のようなことなのです。


日ごろ忙しい中で、あまり心落ち着かせること、日々の平和に目をとめることが少ないものですが、
このような機会に本当の平和とは何かを考えて過ごすことも必要だと改めて考えさせられました。



創立記念礼拝(中学)

関東学院の創立記念日は10月6日(木)です。
今週は創立記念週間として各校(幼稚園・小学校・中高・大学)でそれぞれ、創立を記念する行事がもたれます。
本校では、今日・明日が創立記念礼拝です。
本ブログでは本日、10月3日(月)に行われた創立記念礼拝(中学)の様子をご紹介します。




創立記念礼拝(中学)


◆讃美歌 234A 「昔、主イエスの播きたまいし」




◆聖 書 コヘレトの言葉 3章1節・11節

   1節 何事にも時があり
      天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
  11節 神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。
      それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。


◆説 教


                   (河合輝一郎校長)


(要旨)
 関東学院の源流は127年前に遡ります。タイムマシンがあったら、関東学院の歴史の一部
を調べてみたいという思いに駆られますが、残念ながらそれはできません。

 今日は皆さんと「時間」について考えたいと思います。
 時間は私たちが生まれる前からずっと刻まれています。また私たちが死んだ後もずっと刻ま
れていきます。永遠に刻まれていく時間というものに、私たちはどこか不思議な思いがします。
古代の哲学者もこの時間の永遠性について考えを思い巡らせています。
 では、聖書は「時間」をどのように考えているでしょうか。

 コヘレトの言葉では、次のように記されています。
 「何事にも時があり
  天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」

 聖書においては「時」は重要です。その瞬間・瞬間が大切なのです。それは神が定めた「時」
だからです。そしてその瞬間は私たちにとっても大切な時間なのです。
 無限に刻まれる時間のなかで、私たちの生きる時間は有限です。やがて終りがやってきます。
だからこそ今生きている<生>の瞬間は大きな意味をもつのです。

 創立記念週間にあたって、関東学院の歴史を振り返るとき、それは有限的な時間の積み重ね
であることがわかります。しかし、その時代に生きていた人々の<生>に関東学院は大きな影響
を与えてきたのです。
 関東学院初代院長の坂田祐は校訓「人になれ 奉仕せよ」を定めました。
 この校訓は、その時代・その時代に生きた言葉として働きました。またこの校訓は、その時
代に生きていた人々の<生>に大きな影響を与えました。そして2011年10月3日という今、
この校訓について考えている瞬間もまたとても貴重なのです。

 <生>がもし無限ならば、私たちは自分自身の<生>について考えることはしないでしょう。し
かし私たちの<生>は有限です。だから今日この時間が意味をもち、そしてとても大切な時間な
のです。

 この時間・この時間をどう生きるのか?

 この瞬間・この瞬間をどう考えるのか?
 
 今日読んだコヘレトの言葉はそのようなメッセージを私たちに与えてくれます。
 そして私たちの人生には大きな意味があります。

 皆さんはやがて本校を巣立って行きます。そしてそれが私たちの「時間」です。繰り返され
ることはありません。この「時間」を意味あるものにしたいと願ったとき、私たちは自分の生
き方を真剣に考えるはずです。また今の時間・場所・学ぶことへの意味が湧いてきます。

 127年前の関東学院の源流に思いを馳せるとき、関東学院の果たした役割は今に及んでい
ます。関東学院で引き継がれた聖書の教えは今に及んでいるのです。
 創立記念は単位過去を振り返ることだけではありません。今に生きる関東学院、世の中に貢
献する関東学院の姿をを真剣に考えるときなのです。
 そして自分が生きる瞬間・瞬間を考えるとき、私たちは自分自身のうちに大きな使命がある
ことに気付かされるかもしれません。「定められた時」はそれを含んでいるはずなのです。

 皆さんには、私たちが、今現在、置かれている状況をぜひ考えてほしいと願っています。
 それを真剣に考えるとき、私たちの前には「いのち」と「希望」が見いだせると思います。


◆祈 祷 






秋季特別伝道礼拝

本日秋季特別伝道礼拝として、中学は1時限目に、高校は2時限目にそれぞれ礼拝が守られました。
説教者として日本基督教団蒔田教会より古谷正仁牧師をお招きし、お話をしていただきました。

礼拝は讃美歌から始まり、お祈りをもってお話がされました。


聖書箇所はマルコによる福音書2章1節から12節です。この箇所には重い皮膚病を患った寝たきり
の友人のために4人の男が、寝床ごと担ぎあげて主イエス・キリストが説教している場所まで彼を運
び彼を癒してもらう、という癒しの話が書かれています。



ここから、友人を思いやることの大切さについて古谷先生は話して下さいました。また、古谷先生自
身の経験から、自分ではどうしようもないことも人生では起こりうるが、聖書にはそれらの試練に耐
える方法や知恵を示すヒントがたくさん書かれているということも話して下さいました。

2学期中盤に学校全体で伝道礼拝を守れたことに感謝して、今後の礼拝においても、生徒が聖書の教
えから生きるヒントをたくさん得ていくことを、教職員一同心から願っています。


秋季特別伝道礼拝のお知らせ【9月30日(金)】

特別伝道礼拝のお知らです。
今週金曜日の9月30日(金)は秋季特別伝道礼拝です。




9月30日(金) 礼拝堂

○中学礼拝 8:50〜9:35

「共感力」 ◆聖書 マルコによる福音書2:1〜5

  数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、
 大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言
 葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、
 イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根を
 はがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を
 見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。


○高校礼拝 9:45〜10:30

「苦しみに耐える」 ◆聖書 マタイによる福音書8:1〜4
            
  イエスが山を下りられると、大勢の群衆が従った。すると、一人のらい病を患って
 いる人がイエスに近寄り、ひれ伏して、「主よ、御心ならば、わたしを清くすること
 がおできになります」と言った。イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。
 清くなれ」と言われると、たちまち、らい病は清くなった。イエスはその人に言われ
 た。「だれにも話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モー
 セが定めた供え物を献げて、人々に証明しなさい。」


■講師
 日本キリスト教団 蒔田教会 古谷正仁 牧師

  古谷 正仁(ふるや まさよし)牧師 略歴
   明治学院大学卒、日本聖書神学校卒、ウェスレー神学校留学
   現在、日本キリスト教団蒔田教会牧師、日本聖書神学校教授



中学全体礼拝

今朝の礼拝堂での礼拝は1学期最後の全体礼拝です。
礼拝堂では、月曜日・木曜日が中学全体礼拝、火曜日・金曜日が高校全体礼拝です。
礼拝堂の礼拝でない曜日はクラスでホーム礼拝です。
そして高校生は明日から、中学生は明後日から期末試験です。
礼拝堂には中学生が集まりました。いつもの礼拝が守られます。今日の礼拝の担当は河合校長です。




■讃美歌 285(主よ、み手もて)

1.主よ、み手もて ひかせたまえ、
  ただわが主の 道をあゆまん。
  いかに暗く かわしくとも、
  みむねならば われいとわじ。   (2番〜3番 略)






■聖書朗読 ローマの信徒への手紙13章11節〜14節

 更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。



■お話(要旨)






1.広島を訪れたときの衝撃

 30数年前に訪れた広島の原爆ドームを見たときの衝撃は今でも忘れられません。当時のままの姿で残る原爆ドームの空間だけが、時間から取り残されているように思えました。また広島原爆資料館で見た1枚の写真も衝撃的でした。それは人間の影が原爆の熱線によって階段に焼き付けられた写真です。人間の生命について改めて考えさせられた瞬間でした。
 30数年前に訪れた広島での衝撃は今でも忘れられません。またそれは今起こっている福島の原発事故とダブって見えます。


2.村上春樹氏のスピーチ

 村上春樹氏のスピーチ「非現実的な夢想家として」が新聞に掲載されたのを興味深く読みました。
 村上氏は、たとえ世界中が日本をあざ笑ったとしても、原爆体験による核に対するアレルギーを持ち続け、核を使わないエネルギーの開発を中心命題に据えるべきだったと語っています。またそれが広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずだと訴えています。
 しかしながら、現実は村上氏の提案のようにはなってはいません。電力会社の株主総会では、株主による脱原発の提案は否決されました。もちろんそれは、原子力や核のことを考えなくていいということではありません。


3.パウロのメッセージ

 パウロは、ローマの信徒たちに、イエス・キリストを想起させ「あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています」と語りかけています。そしてこれは現代の私たちに対するメッセージなのです。
 日本で起こっている現実は、私たちに警鐘を鳴らしています。けれどもパウロは、「救いは近づいている」と述べています。そしてパウロは「闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう」と訴えています。


4.新しい倫理と新しい言葉

 村上氏は、壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になるが、損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になると語っています。そしてその試みは大がかりな「集合作業」であり、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずだと述べています。そして我々(=職業的作家)は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはならなないと訴えています。


5.主イエス・キリストを身にまとう

 私たちは厳しい現実に向きあっていますが、未来に向けた前向きさを決して失ってはいけません。私たちもまた、新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させるべき役割を担っているのです。
 またその前向きさを支えてくれるのは神であるということを私たちは忘れてはなりません。そして私たちはパウロにならい「主イエス・キリストを身にまとい」たいと思います。


■祈祷





新しい一週間が始まりました。
期末試験も控えています。
この一週間生徒たちにとってよき学びのときになるようお祈りしたいと思います。


春季特別伝道礼拝

本日、春季特別伝道礼拝(花の日礼拝)が行われました。高校生は1限、中学生は2限の時間帯に礼拝堂で実施されました。
夏の花が咲き乱れる一年で最も美しい季節に、神から与えられた自然の恵みに感謝するため守られるようになったのが「花の日礼拝」です。本校では春季特別伝道礼拝として守ります。また、「豊かな自然の恵みを皆で分かち合おう」という気持ちを表すため、例年1年生では施設を訪問し、各家庭より献じられたお花をお届けしています。

本日の礼拝の講師は声楽家の遠藤久美子先生。東京二期会のソプラノ会員でいらっしゃる遠藤先生は、東京芸術大学声楽科を卒業後、イタリアに国費留学されているときに洗礼を受けられました。帰国後には上智大学神学部に入学、現在は同大学院に在籍していらっしゃいます。



旧約聖書の「コレヘトの言葉」12章1節
『青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに」という一節をとりあげてお話をしてくださいました。
留学時にイタリアの人々が当たり前のように宗教について質問すること、宗教は彼らにとって命がけの問題であり、2000年の歴史が体に染みついていることに感銘を受けたそうです。今回の震災のように想定外のことが起きたときに、何において自らを確かなものにしていくのか、ということを考える必要があるのではないかとおっしゃいました。人類の無力さを自覚した今こそ、大地を揺るがすことができる創造の神に目を向けるときであり、それが10代の青春の日々であることが大切であると訴えてくださいました。
留学中、ある意味で孤独で厳しいときでしたが日本を冷静な目で見つめ直すことができたことを、ご自身の貴重な経験に基づいて話されました。とかく語学さえできれば国際人であるかのような短絡的な風潮に流されることなく、言葉を超越した芸術などを通して、感じ合い認め合うことでバランスの良い人格を形成していくことの大切さを語られ、もし留学する際には聖書を持参することで、支えとなり、自らの指針となりうることをメッセージとして残してくださいました。

このような心に響く貴重なお話の間に、「ふるさと」など3曲の歌も披露してくださいました。



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