「Boys, be ambitious」〜創立記念礼拝(中学)〜

関東学院は今年で134周年を迎えました。先日も本ブログでお伝えした通り、先週の4日(木)および5日(金)は本校も創立記念礼拝を捧げました。4日(木)の中学生の礼拝では、関東学院六浦小学校の石塚教頭先生から「Boys, be ambitious」というテーマで説教をいただきました。全文を紹介します。

 

 

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今日は、創立記念にあたり、北海道大学の前身である札幌農学校で教えられた有名なクラーク博士の「Boys、be ambitious!」の由来と、それが、関東学院とどういう関係があるかをお話します。


1876年(明治9年)8月、明治新政府は、北海道に、札幌農学校を創立しました。その時の北海道開拓長官は、黒田清隆でした。陸軍中将でした。黒田長官は、農学校の施設、運営、教育の実際に当たる人物を、アメリカに求め、マサチューセッツ州立農学校の校長であったウィリアム・スミス・クラークを招聘しました。彼は、南北戦争に従軍して陸軍大佐になった人です。

 

こうしてクラーク博士は創立の前月、1876年7月、横浜に上陸し、品川から玄武丸という船に乗って、北海道に赴任したのです。小樽港に上陸し、そこから陸路、札幌に行くのです。

 

玄武丸の中には、第一期生として選ばれた学生と、黒田長官が一緒に乗っていました。船中で、黒田長官はクラーク博士に聞きました。「この度の新設の学校の目的は、人格の高い人物を養成するのが第一でなければならないと思うが、それについてあなたはどういう方針を持っておりますか。」すると、クラーク博士はこう答えたのです。「私は、キリスト教以外に最高の道徳はないと思います。ですから、この新設の学校においては、精神教育の根底をキリスト教に、即ち、聖書において教育しようと思います。」これに対して、黒田長官は「それは困る。日本には儒教があり、神道があります。何を好んで外国の宗教を取り入れる必要がありますか。キリスト教を入れることは許しません。」と反対したのです。クラーク博士は、それに対して、キリスト教の教えを懇切丁寧に説いたのです。しかし、議論を闘わせてもお互いになかなか譲りません。一方は陸軍中将、他方は陸軍大佐、二人とも軍人です。その信じるところを曲げない。とうとう、船は小樽について、いよいよ札幌へと陸路を行くことになりました。


開校が迫っているのに、まだ決定しない。そこでクラーク博士がこう言ったのです。「私が教育の根底に聖書を教えることができなければ、就任をお断りし、これから引き返して、アメリカに帰ります。」黒田長官は「開校は来月に迫っている。今、あなたに帰られては、開校ができない。・・・・・・・・仕方がありません、それでは、聖書を教えることを許します。しかし、あまり大げさにやらないように・・」と言って、とうとう折れたので、札幌農学校は予定通り開校することになったのです。

 

開校式の日に、学生がその式場に行ったら、一人ひとりの机の上に分厚い聖書が一冊ずつ置いてありました。それは、クラーク博士が横浜で英語の聖書50冊を買って持ってきたのでした。授業の前に聖書講義をもって始めたということです。もちろん、クラーク博士は農学を教えるために来たのですから、植物・動物・生物学、それから土壌学など、その方面に関する所の豊かな知識をもって教授されました。しかも、「それを運用する所の人物が、キリスト教の精神によって養成されたのでなければ、そのサイエンスを人間のために立派に役立たせることはできない」と言う確信をもって教えたのです。

 

教えること8か月。3月に契約期限が終わり、クラーク博士はいよいよアメリカに帰ることになりました。1877年(明治10年)4月16日、北海道室蘭を経由してアメリカに帰る事になったので、その日、学校の職員と学生が馬に乗って見送ったのです。島松という所に来ると皆は馬から下りて休憩しました。しばらく休んだのち、クラーク博士は学生一人一人と堅い握手をかわし、再び馬に乗りました。そして、「Boys, be ambitious!」の一言を残し、馬に鞭を当てて、森の陰に消えていったのです。これがあの有名な「青年よ、大志を抱け。Boys, be ambitious!」の由来です。

 

クラーク博士はアメリカに帰る前の月に、「イエスを信じる者の誓約」を英文で作成しました。その中には、キリスト教の大切な信仰を箇条書きにしてあり、「われわれはこれを信じ、この約束を守る」と書き、クラーク博士は一番先に署名し、それから学生に順々に署名させたのです。その時に15名が署名しました。クラーク博士はそれを置いてアメリカに帰ったのです。第一期生15名が署名し、それから、内村鑑三、新渡戸稲造らが第二期生として札幌農学校に入学し、その誓約に署名をしたのです。

 

クラーク博士から直接教えを受け、「Boys, be ambitious!」の言葉を直接聞いた第一期生の渡瀬寅次郎が、関東学院の前身である東京学院の初代院長になりました。坂田祐が東京学院に入学したのは、渡瀬寅次郎が院長を退任した2年後のことでした。1904年(明治37年)4月のことです。その年の2月、日本とロシアの戦争がはじまり、兵役にあった坂田は、この高等科で学ぶこと2か月で戦争に行くことになりました。そのために、高等科を卒業することができませんでした。日露戦争が終わり、坂田は日本に帰り、高等学校に入学するための資格を得るために、今度は東京学院の中学部に入学しました。続いて第一高等学校に入学し、ついに東京帝国大学に入学し、1915年(大正4年)にこれを卒業し、母校東京学院の教師とのなったのです。そして、1919年(大正8年)、坂田は横浜に中学関東学院を創立したのです。


坂田祐は「Boys, be ambitious!」の教育を受けた渡瀬寅次郎が創立の院長であった東京学院で学び、「Boys, be ambitious!」の精神の下に、第二期生として学んだ新渡戸稲造が校長であった第一高等学校に入学し、新渡戸の教えを受け、「Boys, be ambitious!」の精神の下に教育された内村鑑三の門に入って、聖書を学んだのです。このような経歴を持った坂田祐は、横浜の関東学院創立の責任を担うことになり、内村鑑三から親しく指導を受けたのです。

 

中学関東学院を横浜に創立する時に、「キリスト教を表面に掲げては学校が発展しないから、中学校としての特典を有する普通の中学校としてやった方がよいのではないか」と言う意見がありました。なぜそういうことになったかというと、1899年(明治32年)に、政府が文部省訓令第十二号をもって普通の中学校並びに高等女学校が、宗教を教えたり、宗教の儀式をやったりすることを禁じたからです。しかし、坂田は「普通の中学校としての特典が得られなくとも、キリスト教を正面に掲げてやらなければ真の教育ができない」と主張し、関東学院中学校ではなく、中学関東学院として創立したのです。それ以来、変わらず、戦争中も、逆風の中にあっても、キリスト教を正々堂々と掲げ、聖書を道徳の根底として生徒たちを教え・導いてきたのです。


太平洋戦争が終わった後、学校教育に宗教教育の自由が与えられました。坂田祐をはじめとするキリスト教学校の校長たちは、文部大臣に申請して、長い間、キリスト教学校を悩ましてきた文部省訓令第十二号を撤廃してもらいました。その時の文部大臣は前田多門で、内村鑑三の弟子でした。

 

今、関東学院は、政府の学校と同等の資格、特典を与えられ、その上に、自由に聖書を教え、キリスト教の儀式ができるのです。皆さんは、関東学院六浦中学校に入学し、一人一人は聖書を手にしています。これは、学校の建学の精神の土台は聖書にあることを知ってもらい、理解してもらい、聖書によって人格を養っていくためです。関東学院の建学の精神はキリスト教の精神です。この建学の精神を具体的に表現するために「人になれ 奉仕せよ」の二つの言葉を校訓と定め、創立以来99年、これを強調してきたのです。その根底である土台はイエス・キリストです。皆さんが、この建学の精神に堅く立ち、「人になれ 奉仕せよ」の校訓の実現に努力されるよう希望し、このために祈るものです。



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