『校報』第113号(ブログ版・その1) クリスマスメッセージ

クリスマスメッセージ 『愛に気づくクリスマス』

 

「…何がめでたい」というタイトルの本が話題になっていますが、毎年クリスマスで街中がにぎやかになってくると、「クリスマス 何がめでたい?」と街中で行きかう人に聞いてみたくなります。いったいどのような答えが返ってくるでしょうか。

おそらく「誕生日だから」という答えが一番多いことでしょう。実は、聖書にはイエス・キリストの誕生日が12月25日とは書かれていません。4世紀になってから「救い主の誕生を祝う日」と定められました。この日をお祝いした人たちは、皆キリスト者でした。イエスをキリストと信じていた人たちなので、救い主が自分の人生においてかけがえのない大切なお方であるということを理解したうえで盛大にお祝いしたのです。Christmasは、Christ(キリスト/救い主)の誕生を感謝してmas(ミサ/礼拝)する日なのです。

次に多いのは、きっと「サンタクロースとプレゼント」に関する答えと考えます。クリスマス商戦という言葉があるように、クリスマスにはたくさんの商品が並びます。贈られたものを受け取る楽しみにとどまらず、贈る楽しみもあるでしょう。大切な人のためにプレゼントを選んでいる様子は、相手の喜ぶ顔を思い浮かべて笑みがこぼれてしまうように見えて楽しそうです。もともとクリスマスにプレゼントを贈る習慣が生まれたのは、「聖ニコラウス」が起源ではないかと言われていますが、彼が隣家に投げ込んだ金貨で隣人を救った話は有名です。小さな命を守るための、自分にできる最善を尽くすこと。これはクリスマスに忘れてはならない行いです。

キリスト教の人間観に基づくと、人間は、神にその価値を認められないほど罪深い存在です。しかし神は、人間を見捨てることはせず、むしろ積極的にその価値を認めようとして、独り子(イエス・キリスト)を遣わされました。神の独り子であるイエス・キリストは、私たち人間の罪、自己中心的な性質が原因で十字架上で死を遂げることになりますが、それは人間が「生きるようになるため」です。わたしたちの「いのち」は、イエス・キリストを犠牲にしてまでも守るべき大切なものとされたということです。つまり、救い主の誕生は、人間に対して神が「あなたは大切な人である」と宣言されるための第一歩なのです。だからクリスマスは「めでたい」のです。

この1年間の世界の動きや日本の社会において、人間の罪の恐ろしさを見せつけられるような出来事が少なくありませんでした。自分のいのちが脅かされ、他者の命が失われることに痛みを感じないような優しさを失った社会にいる恐れを感じないでしょうか。「何のために生きるのか」、「どのように生きるのか」。この問いに向かい合い、「生きる」ということを真剣に考えなくてはならないところに、今立たされているのです。「愛されている」ことを忘れた人間ではなく、「愛されている」ことに気づいた人間として生きることが求められています。

本校では、毎年収穫感謝礼拝の少し前からクリスマススタッフを募り、昼休みや放課後の時間を使って練習を重ね、クリスマス礼拝をささげる準備を始めます。また、小さな命を守るための最善を尽くす行動として献金をささげます。生徒、教職員が一つになってクリスマス礼拝を作り上げるのは、聖書に記されているように、クリスマスによって示された神の愛に感謝し、「クリスマス だからめでたい!」とお祝いするためです。

キリスト教学校に連なるものとして、クリスマスを盛大にお祝いしましょう。クリスマスの喜びを賛美しましょう。
Merry Christmas!

 

(宗教主任)



calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< May 2019 >>
selected entries
categories
archives
profile
search this site.
others
mobile
qrcode