『校報』第111号(ブログ版・その1) 2016年度 卒業生 式辞

2016年度 卒業式 式辞

             校長 黒畑 勝男

 

 

 皆さんは、今、関東学院六浦高等学校の課程を全て修めました。ご卒業おめでとうございます。心からお祝いを申し上げます。そして、新たなる出発に、神様からの豊かな恵がありますようにお祈りします。
 今、入学の日のことを懐かしく思い出している人もいるでしょう。この礼拝堂の椅子に深々と座った入学式。座っている椅子を小さくなったと感じ、時の流れを嬉しくも寂しく思っている人も多いことでしょう。身体も心も、変化の最も大きい時期を関東学院六浦で過ごしたのです。数えられないほどの思い出となった経験、そして、その経験を通してたくさんのことを体得しました。


 関東学院初代学院長、坂田祐先生は、私立中学関東学院の第1回卒業式で次のように述べました。
 「人になれ 奉仕せよ。人になること、すなわち人格を完成することは、大変難しいことです。しかし、実行や実現が極めて難しくても、その理想に向って進んでいくこと、たゆまず努力をすること自体に価値があります。私は皆さんに、この理想によって努力するようにと勧めてきました。皆さんは全生涯を通して、理想の実現に努力すべきです。たとえ、この世の仕事に失敗してもよい。皆さんが自分の人生観の基礎をしっかり確立し、価値ある生涯を送ることができたなら、それは真の、本当の成功です。」
 初代学院長の坂田祐先生は、1915年(大正4年)、37歳で関東学院の前身である「東京学院」の教師となりました。4年後の1919年(大正8年)に私立「中学関東学院」の設立で初代学院長に就任しました。今、紹介した式辞の中学関東学院の第1回卒業式は1924年3月でした。その後、坂田祐先生は1937年(昭和12年)に、大きな総合学園となった関東学院全体の学院長に就任し、学院の発展に寄与されてきました。
 歴史の中に時を重ねて眺めると、坂田祐先生が東京学院の教師となった1915年は、日本が第一次世界大戦に突入した頃です。前年の1914年8月、日本はドイツ帝国へ宣戦布告し、連合国側で参戦しました。1919年の中学関東学院の設立の年は、第一次大戦が終わりパリ講和会議でベルサイユ条約が結ばれた年でした。日本は戦勝国の一つとして、大陸中国に本格的に進出を始めた年でした。また、坂田祐先生が、「人になれ 奉仕せよ」と語った中学関東学院の第1回卒業式は1924年3月、前年1923年の9月に起きた関東大震災の半年後でした。大変な苦労があったことは想像に難くありません。さらに、坂田祐先生が関東学院全学の学院長に就任した1937年(昭和12年)は、日本と中国の間の本格的な戦争のきっかけとなった盧溝橋事件が起きた年でした。
 坂田祐先生の「人になれ 奉仕せよ」は校訓となり、関東学院の卒業生は皆、この言葉を大切にしています。皆さんもこの言葉を抱いて卒業します。ただ、今述べた時代との関係性で考えれば、卒業の母校のアイデンティティを現す言葉であるからこそ、その背景にある思いに一度至らなければなりません。
 坂田祐先生は26歳の時、日露戦争に従軍しました。校訓とする言葉は、戦場の無残と悲惨、戦争の非情さの経験の中に深くかかわるものと推察します。キリスト者として、そして職業軍人として従軍しましたが、戦争から帰還して非戦論を唱えます。平和を創ろうとキリスト教信仰に立つ学校を率いつつ、「人になれ 奉仕せよ」を校訓として唱えました。坂田祐先生の経験的背景に思い至れば、その後に続けて唱えられた「その土台はイエス・キリスト也」を忘れてはいけません。皆さんの卒業にあたり、「人になれ 奉仕せよ。その土台はイエス・キリスト也」をあらためて、校訓の基として手向けたいと思います。
 坂田祐先生が、関東学院の学院長に就任した1937年(昭和12年)以降、日本は盧溝橋事件から第二次世界大戦、太平洋戦争への道を進んで行きます。その道は、坂田祐先生の思いとは真逆であったでしょう。戦時体制が強化される中、キリスト教を掲げる学校が学校行事などにおいても主義主張を貫くことには、想像できないほどの多くの困難がありました。1941年(昭和16年)12月には真珠湾攻撃があります。日本はいよいよ本格的に太平洋戦争へ入っていきます。当時、学校長として、ゆくゆくは戦場へ赴くかもしれない生徒たちの卒業式に、どれだけ身と心を引き裂かれるような気持ちで臨んでいたことでしょう。当時の普段の礼拝では、幾度も「インマヌエル」と、つまり「神ともにいます」と何度もおっしゃられたと伝えられています。そうした歴史の中で貫かれてきた校訓「人になれ 奉仕せよ」は、「その土台はイエス・キリスト也」を除いては考えられないことなのです。

 さて皆さん、関東学院六浦中学校・高等学校での学びを振り返ってみます。
 あらためて言いますが、本校はキリスト教によって立つ学校です。聖書の時間や礼拝では、神様やイエス・キリストの生涯の物語だけを学んできたわけではありません。日常の生活の様々なことを通して、人間の自己中心的な特徴を考えさせられてきました。そして、その自己中心性から逃れることができない人間の弱さに焦点があてられ、考えさせられてきました。人間は弱いものであることを認めながら、時にはその思いに良心を痛めながら、学びを進めることの大切さを感じてきました。そして、そこに必然的に、キリスト・イエスが現れることも語られてきました。
 そうした学びの上に、数々の活動がありました。その中で、皆さんは少なからず、実践する力を会得しました。それが、力とまではいかないと言うなら、少なくとも力の種を皆は得てきたのです。
 6年前の震災を機に、東北への「”福幸”支援ボランティア」が何度も繰り広げられました。身近なところでは寿町での「炊き出しボランティア」が継続され、先月は6年生だけで行なわれました。海外では、「カンボジア・サービス・ラーニング」もありました。日常の学習で知り、そして実学的に直接学び、見えなかったものに気づく、そして自分が変わる。そして、数々の活動報告から学ぶこともありました。
 2年前、私も皆さんと一緒に常総市の水害復旧のボランティア支援に行きました。生徒の中から声が上がっての活動でした。参加条件は4年生以上で、生徒64名、教員とで総勢70名となり、貸し切りバスは予想の1台が2台となりました。そして、生徒の4割が皆さんの学年だったことが、とても強く印象に残っています。
 バスの車内での往きの会話と帰りの会話には、明らかな違いがありました。帰りが疲労困憊だったということではありません。それは「気づき」でした。「気づくこと」での変化だったのです。関心だけではなく実際に関わることで、今までとは違う思いに、自分のことのように考えるという思いに深まる、という、この気づき。人が人として生きることの意味を感得して帰ってきました。
 卒業にあたり、関東学院六浦高等学校として強く皆さんに伝えたいことは、毎日のように聞かされてきた言葉です。「自分を愛するように隣人を愛せよ」。是非、この言葉を終生心の深くに留め、それを実践として訴えた坂田祐先生の「人になれ 奉仕せよ。そ
の土台はイエス・キリスト也。」をいつも思い起こし、心と志を高くして歩んで行ってください。


 新しい道を進むにあたって、もう一つ述べたいことがあります。自分の思い通りにできる時間を最大限に、将来を見つめて活かしてほしいということです。出来るだけ多く、実際に、間近に、その手で触れて、世界を見て経験してほしいと思います。そして、どの道を進もうとも、最低限で英語、そしてできれば中国語を早期に身につけてほしい。変化する社会への適応は、最低限のスキルとして外国語の習得にあります。変化する社会に生きる人になることを真剣に考えてください。
 日本が技術力の差で世界をリードし、経済的に圧倒的に優位な地位を得ていた時代は、日本人であることや日本育ちであること自体で、国際社会においても優位なことが多かった。しかし、いまやその情勢は大きく崩れ、優位性は揺らいできています。それは国外でだけのことではなく、国内の就職環境にも現れ始めています。
 厚生労働省の発表では2015年、出身国の高校以上を卒業して日本国内の日本語学校、専修学校、大学、大学院で学ぶ留学生は、前年から1万4千人増えて、20万8千人となりました。卒業後、日本国内での正式な就職で就労ビザへの切り替えが認められた学生は約1万6千人です。その75%が大学と大学院卒という実態です。
 日本の大学生は今、1学年55万人ですから、外国からの留学生の就職者数は、その3パーセントの勢いになっています。グローバル化の波は、もはや国外での出来事や現象ではありません。異文化と異なる言語の環境の中での格闘の経験の有無が、ますます重要になってきています。「日本語だけでいい」との強がりは空しいばかりです。
 そしてICTと人口知能の発達が社会のシステムやインフラを変えることを深く考えましょう。これまで人類が経験しなかったスピードで社会は変化するということを真摯に考えてほしい。変化に適応できるように、学んでいることも世界を知ろうとする意識と結びついていることが大事です。そして、自由に意思を伝えられる語学力が、これまで以上に重要なスキルです。
 人間にとって適応する力とは、学び続ける力と新しい学び方を学ぶ力、そして自分の思いを直接、正確に伝えることのできる力です。坂田祐先生が、「実行や実現が極めて難しくても、理想に向って進み、たゆまず努力をすること自体に価値がある」と語られたように、不断の努力で前進してください。


 とは言え、疲れて、気持ちが折れることもあるでしょう。限界だ、絶望だと感じることもきっとあるでしょう。あっていい、あって当然なのです。

 その時は、勇気をもって休んでください。歩いて疲れたなら休めばいいのです。聖書にある通り、神は、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない。」と言います。また、「人間として耐えられない試練を与えては来なかった。」とあります。
 そして、神が私たちに与えた御子イエスは、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と私たちに語っています。

 そしてさらに、「わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛(くびき)は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」と言います。

 卒業です。

 皆さんは、神に愛されている存在であることを決して忘れず、与えられた命を大切にし、どんな時も決して自分を否定せずに、しっかりと歩んでいってください。


 最後になりましたが、保護者の皆様、お子様の成長を精一杯、心豊かに支え、本日を迎えられましたことに、心よりお祝いを申し上げます。
 また、本校の教育に対し、いつも支援を賜りましたこと、心から感謝を申し上げます。
 教職員一同、ご家族の皆様に神様の祝福がありますようにと、お祈りいたします。ありがとうございました。
 以上をもちまして、式辞といたします。

 

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