第14回"福幸"支援ボランティア報告

第14回"福幸"支援ボランティア(2016年3月24日〜26日)

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2016年3月。
東日本大震災から5年が経ちました。
私たちは、震災遺構の見学や現地の方々のお話を通して、本校生徒として何が出来るのかを考え、
社会に奉仕をすることの重要性を学ぶことを目的として、東北を訪ねました。
募集段階では、もしかしたら参加者がかなり少ないのではないかと心配していました。
けれども3年生から5年生までの合わせて10人の生徒が参加することとなりました。

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24日(木)、朝8時15分。
集合時間よりも早く集合した生徒が大多数。
参加者の意欲を感じる瞬間です。
少し早めにホームに上がりましたが、雨が降りこんできて、寒さが厳しく感じられました。
東北の寒さはどれほどだろうかと心配になりました。

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新幹線は約3時間で新花巻に到着。
乗り換えた釜石線の車内で名物の賢治弁当を食べ、13時05分に遠野に到着しました。
東京駅を出るときには冷たい雨が降っていましたが、遠野は小春日和といいたいくらいの暖かさでした。

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遠野駅からは、お世話になる「遠野まごころネット」さんの事務所へと向かいます。
まごころネットの細川さんと臼沢さんにご挨拶し、宿舎となる第13区公民館に向かいました。
公民館では、管理をなさっている13区の区長、婦人部の部長といった方々に歓迎していただきました。
皆さんは、夕食時に振る舞ってくださる「熊汁」の準備をなさっていらっしゃいました。

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公民館を後にし、私たちは釜石と大槌に向かいました。
この日の案内をして下さる臼沢さんは、大槌で被災されて、いまだ仮設住宅にお住まいです。
仮設住宅で暮らす上での難しい点や今後の課題についてお話くださいました。
上の写真は、大槌にある震災遺構です。
壁がえぐられており、津波の威力を見せつけられました。

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その後、「まごころネット」の運営している就労支援センターを訪問しました。
ここでは震災当時のお話と今後の課題についてお話を聞きました。

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再び宿舎へと戻り、有名な「遠野民話」を語り部さんから伺いました。

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このとき、区長さんや婦人の皆さんがご用意してくださった「熊汁」をいただきました。
地元の方でもめったに食べることができるものではないそうで、貴重な経験をさせていただきました。
熊汁は生徒たちに大人気で、きれいに平らげました。

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25日(金)、朝は雪が降る中バスに乗り込み、陸前高田に向かいました。
陸前高田では、町全体の「かさ上げ」をしているため、まるで工事現場にいるようでした。
陸前高田の震災遺構は4つ残されることになっていますが、
いずれも津波で死者が出なかった施設だけを残したということを聞きました。
また首長の違いにより、震災後の発展に違いがあることや、住民の方々の考え方も多様であることを伺いました。
復興を進めることの難しさがよくわかりました。
海が見えないくらいの高さ(12.5m)の防潮堤に圧倒され、この町がこの後どのように発展していくのか、
また自分にも何かこの町でできることがあるのではないか、と感じた生徒も少なくありませんでした。

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その後、東日本大震災で甚大な被害を受けた陸前高田市米崎町を訪問しました。
「憩える!集える!元気を発信する!みんなのコミュニティ広場の創設を進めて」いる
「再生の里ヤルキタウン」にうかがいました。
上の写真の階段は、過去の“福幸”支援ボランティアで造ったものです。
またここでは情報誌に掲載された「あげたこ丼」をいただきました。

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次に気仙大工左官伝承館を訪ねました。
ここでは震災当日に写真に見える港の様子がひどく変化したことなどを伺いました。

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この日は、宿泊施設に早くに戻れたので、夕食の後、一日の振り返りを長時間行うことができました。
復興のために備えられている財源の活用について、
本当に人々が幸せになるためにと考えると難しいことがわかりました。

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26日(土)は、8時15分に宿舎を出発しました。
バスの中で「どの町に住んでみたいか?」と一人ずつ聞いてところ・・・。
その結果は圧倒的に陸前高田が多いというものでした。
理由を尋ねると、「新しい町どうなるか見たい」、「自分に何ができるか」を考えたからというものでした。

9時30分に、大船渡の津波伝承館に到着しました。
5〜6秒の行動の違いで生死の違いにいたったこと、津波は40mの高さまで上がったところもあったこと、
また翌日まで繰り返し津波が押し寄せていたことなど震災当日の厳しい状況を映像と共に学びました。
現在は、第二の津波とも言える、人口の流出が課題であること、
津波には思い出も流されてしまったという言葉には、胸の奥が痛くなりました。
(日本は世界の総面積の1%以下にもかかわらず)世界の震度6以上の地震の10%が日本で発生していることから、
防災についての意識の向上が絶対に大切であると繰り返し語られました。
また、コミュニティが成熟しているとそれも生きるためのツールになるということから、
ボランティアは心の恩人だと思っているとおっしゃっていました。

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大船渡の復興屋台村で昼食をとりました。
この土地の海の幸をふんだんに使った海鮮丼の人気が高かったようです。
そして遠野駅から12時48分発の釜石線に乗り、18時56分、東京駅に到着しました。

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今回の“福幸“支援ボランティアは、お話を伺うことによる学びが多いものでした。
それは、ボランティアをする側の都合や気持ちではなく、
力や支えが必要な方の都合や気持ちを優先することが大切さです。
今回のボランティアは、決してこれで終わりではなく、これが第一歩になることを約束して解散しました。

◆第14回“福幸”支援ボランティア(2016年春)
 ・【参加生徒募集】第14回“福幸”支援ボランティア
 ・第14回"福幸"支援ボランティア報告



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