第12回“福幸”支援ボランティア(その2)1日目の活動

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第12回“復興”支援ボランティアの1日目の活動の様子を報告いたします。
東京→仙台→矢本と移動したボランティア一行は東松島市役所に到着しました。
13時30分より,この東松島市役所にて東日本大震災の被災時の状況と現状を学びます。

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東松島市の工藤教育長から歓迎のご挨拶をいただきました。
工藤教育長は震災当時は小学校の校長先生をなさっていらっしゃいました。
教育長の管轄では、東松島市において小学生25名、中学生8名、園児1名が亡くなりました。
震災から4年、教育の面でも震災後の復興を続けており、現在3校の統合を進めているそうです。
ご挨拶では関東学院大学と本校の訪問に感謝のお言葉をいただきました。
またこの地で直接見聞きしたことを伝えていただきたいと語られました。

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教育長にご挨拶をいただいた後にホーリーバジルの贈呈式を行いました。
ホーリーバジルは、被災地の支援の仕方の一つとして関東学院大学が紹介したものです。
ハーブの育成などを被災地に提案し、それがこの地で普及・拡大していっているそうです。

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続いて東松島市の総務部の小野さんから、被災地についての研修をしていただきました。
東松島市の震災前と震災後の様子を中心に、被害の状況を詳しくご説明いただきました。
市長をはじめ、東松島市役所の多くの方々が、震災後の対応に尽力なさったことも紹介されました。
ご家族の安否確認もなかなかできない状態のまま、市民のために働かれました。
東松島市では多くの方が津波の犠牲となりました。
行方不明者と遺体の捜索にも力を尽くしてきたそうです。
また東松島市における復興事業のプロセスについても説明もありました。
ここでは、東日本大震災の東松島市の行政の働きについて学ぶことができました。
震災の恐怖を経験した市として、現在は防災・減災の取り組みを他の市区町村に伝える取り組みをなさっています。
貴重な映像や資料を拝見し、お話しを聞くことで、震災の凄まじさを改めて認識する機会となりました。

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東松島市役所を後にした一行はタクシーに分乗し、被災各地を巡り、被災地の現状を見ます。
最初に訪問したのは大曲浜地区です。
この地区は東松島市でも多くの犠牲者を出した地区です。
写真はその慰霊碑です。
津波で亡くなった方々のご芳名が刻まれています。
一行はこの場でしばらく黙祷を捧げました。

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大曲浜地区の区長さんのご説明で、この地区の津波の様子を伺いました。
津波は第8波までこの地を襲いました。
海岸線に面したこの地区その津波の被害を幾重にも受けました。
津波も写真のシャッターの上の部分の位置ほどの高さでした(写真左)
区長さんご自身も津波に飲み込まれそうになったそうです。
鉄筋の建物の2階に上がることで難を逃れたそうです。
ここでも亡くなった方のお話しを伺いました。
津波が来たら高い場所に逃げるのが鉄則ですが、海にほど近い場所ではそれも簡単ではありません。
建物の強度によっては津波の威力に負けてしまうこともあります。
区長さんはその恐ろしさを伝えてくださいました。

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大曲浜地区で写真撮影をしました。
みんな笑顔を見せていますが、心の中は複雑だったと思います。
震災で身近な者を失った方にとっては,4年を経た今日もその悲しみは簡単には癒やされないのです。

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続いて訪問したのは、野蒜地区です。
ここも多くの被害を受けた地区です。
写真は鳴瀬川の野蒜水門の災害復旧工事の現場です。
鳴瀬川河口部は震災で約40センチ地盤沈下をしました。
この一連の工事では、堤防高を約5.7メートルから7.2メートルにかさ上げします。
津波、高潮への防災機能を高めるためです。
また鳴瀬川と東名運河をつなぐ野蒜水門も同じ高さで一体的に整備するとのことです。
震災から4年経ちましたが、このような大規模な工事もまだまだ必要である現状があります。

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続いては亀岡地区です。
写真は亀岡地区学習等供用施設です。
建物の屋根の右側部分の青色プレートに注目します。
津波はこの建物を飲み込むほどで、3.4メートルもの高さでした。
ここでもまた津波の巨大さを思い知ることになりました。

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ボランティア一行は松島町野外活動センターに移動します。
ここは一行の宿舎でもありますが、ここでは,被災者の体験談を伺います。
写真はその語り部である内海さんです。
内海さんからは、地震と津波の状況から、その後に被災状況について詳しくお話しされました。
逃げきれずに津波に飲まれてしまった方々、家族・親族の死に耐え切れずに自ら命を絶った方々…。
東松島市の多くの方々が、そのような死に直面しました。
内海さんもご子息のお連れ合い(お嫁さん)を津波で亡くされました。
遺族の方々の悲しみはとても大きいものです。
そのような悲しみに中にあって、内海さんは助け合いを求めることを訴えられました。
現在でも仮設住宅における様々な問題、高台移転に関する問題があります。
そこでも助け合いが重要だと語られました。
そして我々のようなボランティアを本当に歓迎するとおっしゃられました。
震災の出来事を風化させず、この地を訪れた人が、自分達の周りに震災のことを伝えてほしいと結びました。

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引き続き同センターで講話を伺います。
講師は、佐藤俊昭先生(東北大学名誉教授)です。
佐藤先生からは多くのメッセージをいただきました。
多くの学生と接してこられた先生から、若者に向けた語られた講話です。
ここでいくつかのメッセージを紹介いたします。

 ・世界にたった一艘しかない「自分」という船を、もっとも効果的に動かす舵取りを、
  生涯かけて自分のものにしましょう。
 ・ことばだけで「わかった」とは、言わないことにしましょう。
  また、中身のないことばは使わないようにしませんか。
 ・新たに学ぶ項目は、自分の知識体系につながるまでは「わからない」という感じがあって当然です。
 ・「良くわからない」など、心の内側に湧く微弱な身体感覚・感情・直感、疑惑などを
  無視しない勇気がほしいのです。世間の常識に反しても「面白いものは面白い」感覚です。
 ・大震災と復興の一連のプロセスで、人々はどのように行動をしたかに注目しましょう。
  住民は、自治体は、救援部隊は、政府は、ボランティアは、行政は?
  それらの項目のどれか一つに注目しただけでも十二分です。

佐藤先生はとりわけ大学生に強いメッセージを送りました。
ものごとに認識の仕方を含み、自分自身への疑問を曖昧にしないことを強く訴えました。
生徒たちもそのメッセージの一部を受け止めたことと思います。

1日目の活動は以上です。
この日はどちらかというと、現地での学習を中心としたものでした。
翌日は現地での2日目を迎え、実際の活動も加わります。
ボランティア2日目は以下の内容を予定しています。

 ・福祉施設(老人ホーム)で施設利用者との交流
 ・野蒜にて仮設住宅居住者は子ども達とハーブの植えつけや収穫

上の活動内容はまた改めて報告いたします。
なお1日目は、同センターで夕食をとり、本校高校生はミーティングをしました。
この日の学びを振り返り、各自が感想を述べ、それぞれの思いを共有する機会といたしました。

◆第12回“福幸”支援ボランティア(2015年夏)
 ・【参加生徒募集】第12回“福幸”支援ボランティア
 ・東北“福幸”支援ボランティア説明会を行いました
 ・“福幸”支援ボランティア事前学習@関東学院大学金沢文庫キャンパス
 ・第12回“福幸”支援ボランティア(その1)出発〜到着
 ・第12回“福幸”支援ボランティア(その2)1日目の活動 ※本記事



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