6年生 聖書科特別授業



聖書科では、毎年6年生(高校3年生)の授業に外部講師の方をお招きして特別授業を行っています。今年は、6月23日(火)、24日(水)に、小児科医の野崎威功真先生に来て頂きました。

野崎先生は高校卒業後大学に進学し、工学部で勉強しておられたのですが、医者になりたいと思い、卒業後改めて受験勉強し、医学部に入られ、その後、さらにハーバード大学公衆衛生学院などで学ばれました。これまで、ザンビア国「HIVケアサービス強化プロジェクト」、ミャンマー国「主要感染症対策プロジェクト2」、ボリビア国「地域保健ネットワーク教科プロジェクト」、カンボジア国「母子保健プロジェクト」のメンバーとして、保健指導を行ってこられました。

今回は、ご自身の体験から、これから新しい進路に羽ばたこうとしている6年生に貴重なお話をして下さいました。思い切って一歩を踏み出した時、そこに様々な出会いがあり、その出会ったものとどう関わっていくかということが大切で、それがその後の自分の人生を豊かにしてくれるということを学ぶことが出来ました。

以下、講演の内容です。


<要旨>

 国立国際医療研究センターの野崎威功真と言います。今日はお呼び頂き、ありがとうございました。今回「命について」や「自分らしく生きること」「生きる上で大事だと思っていること」について話をして欲しいと頼まれましたので、今日は私が生業としている「国際保健」という仕事についてお話しをさせて頂きます。

 まずは、私がこの仕事をするようになった経緯から始めます。私の父は、アジア・アフリカから研修生を招き、農村指導者となるよう育成するアジア学院というNGOで仕事をしていました。家にはあまりお金がなく、家にときどき黒人の人たちが訪ねてきて、怖かったのを覚えています。その頃の自分は、『国際協力』に対し、良いイメージを持っていませんでした。父は獣医であるはずなのに、何故、こんなことをしているのだろうと思ったこともあります。

 これが大きく変わったのは、同志社大学1年で、アジア学院が主催するインドネシアでのワークキャンプに参加した時でした。何かインドネシアの人のためにできるのではないか、と思って参加したのですが、一番良いところに泊まり、一番良いものを食べ、一番簡単な仕事しかできない自分に、失望しました。そのワークキャンプでは医療ボランティア活動もあり、今はジュネーブの世界エイズ・結核・マラリア基金の戦略局長となっており、国井先生が参加されていました。次に来るときには、自分も何か「私にはこれができる」という武器を持ちたい、と思ったことが、同志社大学を卒業した後、医学部を受け直した理由です。

 一年浪人して信州大学の医学部に入り直しました。信州大学は少し変わっていて、当時5年生の時に、3ヶ月間、好きな研究室に所属するカリキュラムがありました。当時、所属していた山岳部の顧問をされていた先生にお願いし、細菌学教室に所属していたことにして、夏休みを合わせて5ヶ月間ネパールのミッション病院でボランティアをしに行ってきました。この時、参加したネパール語での礼拝で、初めて理解できた聖書の箇所が “Plem chaina bane, Malai kehipani hoina(愛がなければ、私は無に等しい)” というコリント第一の手紙の言葉でした。これは、その後の私のテーマになっています。

 信州大学を卒業し医師となって、私は国立国際医療センターに就職しました。当時、臨床医として海外に行こうと考えていた私は、途上国では小児科が必要だろうと、小児科を選びました。国立国際医療研究センターは新宿にあり、外国人や貧困な人の多い地域です。また、HIVの専門病院でもあります。このため小児科では当時、全国のHIVの患者さんの3分の1にあたる10人の子供を診療していて、私もそのうちの1人を担当しました。その10歳の女の子は、お母さんから生まれるときに感染したのですが、専門医のいない地方の町で診療されていて非常に悪くなってしまい、紹介されてきました。HIVの治療は何とかうまくいったのですが、頭の血管が弱くなっていた彼女はその年の12月24日の私の外来に来る途中、電車が止まって寒空の下で待たねばならず、待合室で出血して痙攣を起こしました。半年くらい頑張ってくれたのですが、最終的に助けることはできませんでした。こういうことがあったので、私はHIV対策を自分の専門として、国際保健の分野で頑張っています。また、地方であっても、良い医療にかかることができるシステムが大切だと考えが変わり、直接患者さんを診る臨床ではなく、システムをつくる支援で途上国へ行こうと思うようになりました。こうして、今の所属である国際医療協力局に移りました。

 初めて、HIV対策の専門家として赴任したのは、当時大人の17%がHIVに感染していた南部アフリカのザンビアでした。放っておくと国民の10%が10年たったら亡くなってしまうと言う危機的状況です。当時、ザンビアはHIVの治療を全国に広げようと頑張っていたのですが、定員50名の医学校が全国に1カ所しかなく、特に地方では医者の数が全く足りません。医療機材もありません。HIVはまだ病気を治す薬はなく、悪くならないようにする薬しかないので、飲み始めると一生飲み続けなくてはいけません。飲み忘れが続くと耐性といって薬が効かなくなってしまいます。ザンビアの田舎では、道も悪く、公共交通機関もないので、ずっと病院に通い続けてもらうのは大変です。患者さんが治療を続けるためには、住んでいる村の近くで治療をしないとだめだと思うのですが、そういう場所には医者もいないヘルスセンターしかありません。このため、病院からチームを組んで支援することになりました。そしてヘルスセンターのスタッフを教育して、自分たちでも治療ができるようにしていきます。こうやって強化したヘルスセンターでの治療は、病院と比較しても遜色がないことが判ったのです。このため、保健省はこのモデルを国の標準として、広げることになり、今はそのための技術協力プロジェクトが始まっていて、私の後任がザンビアの人と一緒にこの目標に向けて取り組んでいます。

 国際保健という分野で働く方法はいろいろあります。シュバイツアーのように、臨床医として現場に行く。NGOでコミュニティに入る。国連機関で、規範や戦略計画を作る。私は、今の日本の国際協力の一員として、相手の国の政府の人と協力して、仕組み作りをする仕事が気に入っています。

 まとめですが、今日、お話ししましたように、自分が通ってきた道は、とてもまっすぐと呼べるようなものではありませんでした。あまり皆さんの参考にはならないだろうなあと私自身も思います。でも、お話しさせていただいたのは、いつも道は用意されてきたのかな、と感じていることを伝えたかったからです。何故、医者になろうと思ったのか?何故、国際協力をしようと思ったのか?自分で選んできたようでもありますし、全てが用意されていたようにも感じます。また、医学部受験や医師国家試験はさすがに大変でしたが、若い人たちに混じって、不思議に頑張ることができました。国際協力の場でも、不思議な出会いがいろいろあり、引き立ててもらってきました。

 皆さんもこれから、何を生業とするのか、いろいろと迷われることと思います。自分にできることを頑張っていれば、たぶん、うまく行っても行かなくても道はそこに用意されているのかと思います。頑張ってください。



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