校長のつぶやき(2)〜礼拝に想う〜

2018年5月31日
礼拝に想う…「人間の言葉に従わずに神の言葉に従う」



「キリスト教学校の礼拝とはどういうものですか」。

よく質問を受けます。「毎日ですか?」、「どんなことが話されるんですか?」、「キリスト教の家庭が多いんですか?」…先日も宗教主任の伊藤多香子先生からいいお話がありました。5月28日、中1生だけでの礼拝。使徒言行録5章から「命の言葉」について語られました。命を決して軽く受け止めてはいけない、自分の命について決して安易に考えてはいけない、どの人の命も大切であるということが、日常的な例を通して語られました。

友だちと一緒にいるといろいろなことがありますが、いらだった時も、頭にきた時も、自分の思いにそのまま従って行動する前に、「もし、ここにイエス様がいたら何と言うだろうかと考えてほしい」というお話。「きっと、人間の言葉に従うのではなく神様の言葉に従いなさい、と言うでしょう。つまり、自分の思いに従うのではなく、神の思いに従いなさい……」

人は、自分の気持ちや自分の利益に従って行動するものです。しかし、人間関係でのトラブルに直面する時は、自分の気持ちを離れて客観的に眺めて行動できるかということがとても大事です。問題を解決する力、協調する力、ひいてはその人の人間力、魅力につながるものです。生徒たちが日常の生活の中でいかに自己中心性に気付くか、思いやりのある人間関係を形成する力を身に付けるか。これが六浦の教育のテーマでもあります。

この日の聖書の物語は、イエスの生涯を述べ伝える弟子たちの働きを妨害し迫害する様子を記すくだりでした。「命の言葉」を妨げようとする力があっても、立ち向かえる知恵があることを学びました。毎日の学校生活では様々な波風にさらされます。それ自体が広い意味では教育ですが、朝のさわやかな時間に聖書を通して、そうした波風を思いだしつつ自分たちの日常と人間性を眺める。現実的な教育方法としても礼拝が生きています。


校長のつぶやき(1)〜当たり前だけれども嬉しい〜

今年度から校長のミニブログ「校長のつぶやき」を掲載します。

(「校長のお話はいつも未来社会を見据えた教育は……という堅苦しい話になりがちですから、教師の顔の見える話題で、不定期でも良いので、是非」とお願いしました。) ……ブログ担当……

2018年5月9日
「当たり前だけれども嬉しい」

1年生の宿泊研修「天城オリエンテーション」、毎年この研修に前半のみですが同行しています。今年で5回目。往きのバス車内はその学年の特徴が見えるので楽しみです。

今年もあるクラスのバスに同乗しました。入学式から1カ月、登校実日数22日。お互いを知り、仲良くなり始める頃です。学校を出発後しばらくして声があがりました。遅刻で出発に間に合わなかった生徒を気遣う声でした。

出発前の点呼の時にはすでに女子生徒から担任へ心配の質問が寄せられていましたが、バス車内では、前側に座る男子生徒数名から心配いっぱいの様子で声があがりました。車内の後ろからも「○○さん、大丈夫ですか?」「○○さんは来られますか?」との真面目な質問。

担任の先生はにこやかに車内マイクを握り、途中で合流する旨を告げました。そのアナウンスに異口同音、「よかったぁ」という合唱。そして沼津の昼食会場でした。10分ほど遅れてみんなと一緒に昼食。(お母様も運転ご苦労様でした。)



これは当たり前のことなのでしょうが、昨今の世情です。車内の風景が温かく、心からしみじみと嬉しい。六浦の中学一年生の春をほっこり感じました。


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