【連載】3・11を振り返る―本校の防災体制と情報発信を考える―(最終回)

12.おわりに10.3月12日・震災翌日(3)

 生徒が全員無事に帰宅したことはKGMブログでも報告されました。巨大地震が発生し
てから12回目に発信されたブログです。「学校からの連絡です」と書き始められたそのブ
ログは「本ブログでの緊急連絡は今回のブログで最後となります」と続き、巨大地震以降、
一人で帰路に向かった生徒が無事を報告しています。また12日(土)と13日(日)の本
校の活動の中心を連絡しています。
 そして、そのブログを閉じるにあたって、保護者に向けて、河合輝一郎校長からのメッ
セージを記しています。






 本稿の第1回の冒頭にも記しましたが、今回の震災の犠牲になった方々に心より哀悼の
意を評します。また今なお困難な生活を余儀なくされている方々に心よりお見舞いを申し
上げます。一日も早い復旧・復興をお祈り申し上げます。
 本稿は、2011年3月11日(金)に宮城県沖で発生した巨大地震の後、本校が何を行なって
きたのかを確認すると共に、東日本大震災後の本校の防災体制について情報発信の視点考
えてきました。
 本校がとってきた対応を振り返ると、これからの防災体制の課題、反省すべき点は多く
あることが分かります。防災についての十分な知識と備えが求められています。
 すでに本校では、今までの防災避難訓練の見直しを行い、2011年度の1学期は津波を
想定した避難訓練を2回実施してきました。さらには、今後とも防災避難訓練を行いなが
ら、反省すべきところは改善していかなくてはなりません。またこれと同時に、情報の発
信についての備えが必要です。正確な情報の収集と、十分な情報の発信が求められていま
す。3月11日以降、物事に対する、私たちの見方や考え方は少なからず変わったように思
います。とりわけ防災体制と情報発信については、その考えを大きく修正しなければない
点がありす。
 本稿は、本校の防災連絡会議・情報収集係が担当いたしましたが、今後はその担当者と
して、より正確な情報の収集と適切な情報の発信のあり方について、さらに検討して参り
たいと存じます。そして本校のホームページやブログが、その読者に対してよりよい情報
発信となるよう努力して参りたいと思います。
 今回をもって、連載形式でKGMブログに掲載してきた連載記事の稿を閉じます。
 最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。

                                     (了)



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【連載】3・11を振り返る―本校の防災体制と情報発信を考える―(第11回)

11.3月12日・震災翌日(3)

 学校に3月11日(金)から12日(土)まで宿泊した生徒は101名でした。またこの日、
たまたま本校を訪問していた卒業生6名も学校に留まることになりました。卒業生は積
極的にサポートしてくれ、大きな力を貸してくれました。それを見た在校生も、先輩た
ちの姿に励まさされたことと思います。
 12日の午前中は、生徒を帰宅させるために教員がその対応にあたりました。金沢八景
駅方面・追浜駅方面の二手に分かれて生徒を引率しました。学校では、下校した生徒の
保護者からの帰宅の報告を待ちました。そして学校に宿泊した生徒101名全員が無事に
帰宅することができたという、その最後の連絡が入ったのは11時35分です。下のKG
M通信の記事はそのことを伝えています。発信時刻は12時03分です。交通機関が乱れて
いたため、早くから下校した生徒も自宅にたどり着くには時間がかかったようです。






 KGM通信の連絡網については前節で述べたとおりです。上のKGM通信の記事は
「緊急対応無事終了のお礼と報告」を全校生徒の保護者に連絡したものです。そして
この記事において、KGM通信の文面にKGMブログのURLをリンクさせました。こ
れによって、学校での様子を伝えてきたKGMブログの内容を多くの保護者に伝える
ことができました。
 下のグラフは3月12日のKGMブログのアクセス数を示したものです。この日一日
だけで、KGMブログのアクセス数は8,533にまで跳ね上がりました。そして下のグ
ラフで、特に注目すべきは12時台のアクセス数2,358です。このアクセス数の多さは
KGM通信(12時03分)の記事にKGMブログのURLをリンクしたことがその理由で
あると考えられます。グラフの緑色の部分は携帯電話でのアクセスを示しています。
携帯電話で受け取ったKGM通信の記事から、KGMブログにアクセスものと思われ
ます。複合的な情報発信が協働したケースと言うことができるしょう。






 巨大地震後、多くの方々が本校の生徒のことを心配して下さいました。保護者はも
ちろんのこと、少なからぬ方々が本校のことを気にかけて下さいました。地震後、す
べての人が緊張と恐怖のなかにありました。しかし、上のKGM通信とKGMブログ
の情報を受け、生徒が無事に帰宅したことが分かったとき、その緊張はわずからなが
らもゆるみ、そして安堵へと変わっていったのではないでしょうか。

                          (以下第12回・最終回)


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【連載】3・11を振り返る―本校の防災体制と情報発信を考える―(第10回)

10.3月12日・震災翌日(2)

 朝食を済ませた生徒たちに対して、学校から帰宅の方法が示されました。一つは「保
護者が学校まで迎えに来る」という方法、そしてもう一つは「生徒が一人で下校する」
という方法です。学校に宿泊した生徒の保護者には、KGM通信でそれらの方法のうち
一つを選んでいただき、再びKGM通信でその回答を求めました。
 12日の震災翌日も交通機関は乱れ、運行していない路線も少なからずありました。学
校は生徒それぞれに個別で対応し、生徒が学校を出た時点でKGM通信にてメール配信
をする措置をとりました。生徒の安全を第一に考えました。
 また「一人で下校する生徒」については、本校から金沢八景駅または追浜駅まで教員
が引率しました。下のKGMブログの記事ではその旨を伝えています。そして改めて12
日の学校の活動の中止の連絡を行っています。
 3月は学校行事が重なる時期です。12日(土)は転編入試験を予定していましたが、
これも実施せず、受験者の家庭に個別に連絡をいたしました。2011年度入学生に対する
入学前教育も中止となりました。また本校の吹奏楽部と鉄道研究会が参加する予定であ
った関東学院六浦幼稚園での「オープンひろば!!」も残念ながら中止となりました。






 緊急時の連絡は難しい側面がいくつかあります。特に多くの生徒を預かる学校におい
ては連絡する範囲の広さ、連絡する内容の多さなどと、また個別的な内容なのか、全体
的なのかなど、考慮しなければならないいくつかの面があります。
 今回、本校の情報発信の体制としては、「KGM通信」という通信システムが上手く
機能しました。KGM通信は保護者全体にも発信でき、また特定の保護者を個別に選択
して連絡することもできます。そして携帯電話からでもパソコンからでもアクセスでき
る環境が構築されていた点は、今回のような緊急時にはとりわけその有効性を発揮しま
した。KGM通信がなければ、繋がりにくい電話回線を利用し続ける以外に方法はなく、
またそのための時間も決して少なくありません。本校ではKGM通信というシステムを
早期に導入したため、保護者への緊急連絡の難しさを軽減させることができました。ま
た保護者もKGM通信の使用法に慣れていたこともあり、スムーズな連絡体制を上手く
機能させることができた言えるでしょう。

                               (以下第11回)


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【連載】3・11を振り返る―本校の防災体制と情報発信を考える―(第9回)

9.3月12日・震災翌日(1)

 夜半になり、学校に泊まることになった生徒に就寝準備をさせました。学校としては、
簡素な寝具(寝袋・毛布)ではありましたが、それらを生徒に渡しました。しかしなが
ら、簡単に寝付けるものではありません。生徒も教職員もずっと緊張が続いていました。
 日付が変わり12日となりました。深夜になりましたが、学校では保護者のお迎えに応
える体制を夜通し取り続けました。KGMブログでは就寝準備のこと、またこの12日学
校の行事についてKGMブログで発信しています。12日の学校の活動はすべて中止とい
う決定が下されました。






 KGMブログの更新時刻は0時53分。生徒たちは眠れぬ夜を過ごしました。クラブ活
動の校内合宿以外で学校に宿泊することはありますが、このような形で学校に宿泊する
ことがあるなどとは誰も想像しなかったと思います。また深夜にも生徒を迎えにくる保
護者がいました。その対応については教員が交替で行いました。
 そして夜が開けました。
 学校では早朝から生徒たちの朝食の準備を始めました。幸いにも本校のエリアでは停
電を免れたので、調理実習室の炊飯器でご飯を炊くことができました。また教職員が炊
きたてのご飯でおにぎりを握りました。さらに関東学院大学ラグビー部の寮からも届け
られたスープもいただくことができました。このような緊急時に温かい食事をいただけ
ることは本当に感謝しなければなりません。
 本校を支えてくださった皆さんのご厚意に、心より御礼を申し上げます。ありがとう
ございました。そして、関東学院大学ラグビー部の皆さんには大きな励ましをいただき
ました。関東学院の校訓「人になれ 奉仕せよ」に、私たち自身が強く結びつけられて
いることを感じた瞬間でした。

                               (以下第10回)


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【連載】3・11を振り返る―本校の防災体制と情報発信を考える―(第8回)

8.3月11日・ブログでの情報発信(3)

 巨大地震の後のKGMブログの第3報は写真を掲載しました。携帯での電話・メール
が繋がりにくい状況なかで、容量の大きな画像を添付するかどうかの判断は難しい面が
ありました。しかしながら、生徒や学校のことを心配している保護者が多数いることも
考え、画像を添付し投稿することにしました。学校の様子を正確に伝えるため、視覚的
なもので情報を発信することが求められる場面でもありました。






 写真は、備蓄用の水とビスケットを生徒たちに配っている写真です。生徒たちは、不
安を抱えながらも比較的落ち着いた様子で学校に待機していました。
 上のブログは19時02分に発信されました。この時間になると、学校にいる生徒の保護
者の中には、帰宅が困難となり、子どもを迎えに来られない家庭もあるということが分
かってきました。首都圏では帰宅困難者のために施設の一部を開放したというニュース
も伝わってきました。首都圏の交通網は大きな混乱状態でありました。そしてこの次の
ブログ(地震後の第4報)では、保護者が学校に来られない場合、生徒が学校に泊まる
ための準備をしていることを20時54分に伝えています。
 一方のKGM通信も、21時33分に保護者・教職員に情報を発信しています。






 このKGM通信では、学校の状況をブログでも発信していることを伝えていますこの
後、KGMブログは21時46分、23時26分に更新されました。
 学校に泊まることになった生徒の食事については、おにぎりが「関学サービス」によ
って提供されました。また近隣にお住まいの方からもおにぎりやお菓子の差し入れもあ
りました。本当に感謝の限りです。心より御礼申し上げます。
 またこの日、最後に更新したブログでは、学校に泊まることになった生徒が118名で
あったことを伝えています。
 一方で、生徒たちもまた情報を必要としていました。家族や親類の安否確認に携帯電
話をずっと使い続けたのでしょう。夜になり携帯電話の充電容量の不足を訴える生徒が
多くいました。充電容量不足については、教職員の充電器を交替で使用させ、この対応
にあたりましたが、もし本校が停電状態であったならばそれも不可能となります。この
点については、我々も充分に考えなければならないことです。緊急災害時の電源の確保、
また必要な情報収集と情報発信のためのインターネット回線の重要性が明らかになりま
した。

                                (以下第9回)


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【連載】3・11を振り返る―本校の防災体制と情報発信を考える―(第7回)

7.3月11日・ブログでの情報発信(2)

 地震発生後、情報を集約した結果、本校のエリアへの津波の心配はないことが確認さ
れました。しかしながら停電している地域もあり、また余震も幾度となくありました。
 本校の「緊急」のブログは18時02分に発信されました。これは震災後のブログ第2報
です。ここで本校のこの日の対応を連絡しました。
 本校としては、安全面を第一に考え、電車通学生はもちろんのこと、徒歩通学生・自
転車通学生も本校に待機させることにしました。保護者が迎えに来た場合にのみ、生徒
を下校させることにしました。





 しかしながら、本部の予想に反し交通網の混乱は解消しませんでした。
 おびただしい数の方々が「帰宅困難者」となり、首都圏では公共の施設が帰宅困難者
のために開放されました。本校在校生の保護者も職場などから本校に迎えに来ることが
困難であることが次第に分かってきました。
 そしてこの第2報以降、本校では生徒を学校で預かる準備に入ることになりました。
ブログでは備蓄用の水とビスケットを用意し、校内にいる生徒に渡すことを記載してい
ます。
 この日はずっと緊張し、気が休まることはありませんでした。そしてテレビやラジオ、
インターネットではこの日の地震がどれほど巨大であり、また津波がどれほどの人々を
飲み込んでいったのかが次第に分かるようになっていきました。

                                 (以下第8回)



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【連載】3・11を振り返る―本校の防災体制と情報発信を考える―(第6回)

6.3月11日・ブログでの情報発信(1)

 16時27分、本校のブログでも、生徒が無事であることの情報を発信しました。下の画
像はその第一報です。






 ブログのカテゴリーは「緊急」となっています。これ以降、「緊急」をカテゴリーと
した記事を6回にわたって発信しました。携帯電話での連絡がつきにくいなか、インタ
ーネットの情報発信が有効に機能しました。
 これは、本校をふくむ六浦のエリアが停電にならなかからできたことでもあります。
停電になった場合には、本校からの情報発信は難しくなることは言うまでもありません。
 また下のグラフは、3月11日(金)のKGMブログの午後からのアクセス数です。






 3月11日のアクセス数は総計2,410で、平均的な水準よりずっと多いのですが、上のグ
ラフからは、地震直後のアクセス数の少なさが伺えます。14時台、15時からはごく少な
いアクセスです。そして16時台から携帯電話からのアクセス(緑色の部分)が増え始め
ました。
 またこの日のブログは深夜までアクセスが途絶えなかったことも分かります。もちろ
ん、それは本校で生徒を預かったことによるものです。本校に泊まる生徒について、そ
の情報を発信することが求められていました。

                                (以下第7回)


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【連載】3・11を振り返る―本校の防災体制と情報発信を考える―(第5回)

5.3月11日・最初の情報発信

 生徒を校舎内に誘導した後、改めて学年ごとに生徒数の確認をしました。本校の敷地
内に分散していた生徒は一同に2号館の教室に学年ごとに待機させました。不安を抱え、
また少し窮屈ではありましたが、学年ごとに教室が分け与えました。
 このとき、帰りたがっていた生徒も多数いました。しかし、本校では生徒たちをあく
までも学校内にとどまらせる対応を取りました。すでに学校前の道路も国道も渋滞が発
生し、交通機関もストップしている状態でした。
 そしてその間、本校から最初の情報発信が「KGM通信」を通して行われました。時
刻は15時08分、地震発生から22分後です。





 この通信は、全校生徒の保護者に対して、本校にいる生徒の安否について発信したも
のです。
 地震発生から22分後に、生徒の無事を伝える情報が発信できたことで、保護者は安堵
することができたと想像できます。その一方で、この巨大地震は、交通機関を乱すだけ
でなく、情報通信網をも乱しました。KGM通信を携帯電話で受信設定している保護者
のなかには、この情報を受け取りにくかったと方もいらっしゃったと思われます。
 この日、携帯電話によるメール・通話がなかなかできない状態がしばらく続きました。
必要な安否情報すらなかなか得にくいものでありました。
 本校では校長室に対策本部を設置し、情報の収集にあたりました。本校の防災連絡会
議・情報収集係もテレビ・ラジオ・インターネットで、この大地震に関連する情報を収
集しました。
 横浜市は各地で停電が起こり、また電車も動かない状態でした。道路も広域に渡り大
規模の渋滞をひき起こしていました。校内にいる生徒は、また教職員も、今回ほどの巨
大地震を体験したことがなく、ただ不安な時間を過ごすばかりでした。

                                (以下第6号)


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【連載】3・11を振り返る―本校の防災体制と情報発信を考える―(第4回)

4.3月11日・巨大地震発生

 2011年3月11日(金)14時46分、宮城県沖で巨大地震が発生しました。
 この地震は規模は極めて巨大で、震源地から遠く離れた本校の位置する横浜市金沢区
も影響を受けています。金沢区のある地域では液状化現象が起こすほどでした。本校の
校舎内でも大きな揺れを感じました。特に校舎の上層階では大きな横揺れを感じました。
そして前述したように、本校にはクラブ・授業などで生徒が少なからず登校していまし
た。
 本校では後に、全ての教員からこの日の地震直後の様子についての質問紙で調査を行
い、その回答をまとめています。その回答のなかに次のような回答があります。

 「逃げるタイミングと場所がわからずパニック状態になっている生徒が多くいた。」

 生徒にとっともこの巨大地震は今までに経験したこともないような揺れであったと思
います。また校内には、身体を守る場所がないような施設の教室もあります。そして生
徒は、校舎内・グラウンド・体育館に分散していました。多くの生徒が不安になったと
思います。教職員も同様です。校内にいた多くの者が、引き続き地震が起こるのではな
いかという恐怖を抱きました。

 校舎内・グラウンド・体育館などにいた生徒は、中庭に集められました。生徒たちを
クラブ単位・授業単位に集合させ、それぞれの人数の確認をしました。また教員が手分
けをして校舎内に残っている生徒がいないかどうかを確認して回りました。もちろんこ
の間も余震は続いていました。
 生徒たちを中庭に集めたことが適切であったどうかの判断は難しいと思います。むし
ろ地震においては校舎内の方が安全であるかもしれません。しかしこのとき、生徒たち
を中庭に集合させたのは、校舎の倒壊を心配したからです。結果的には、生徒たちを中
庭に集めたことによって登校していた生徒の確認ができました。またこの後、生徒たち
を学年ごとに振り分けるのもスムーズに行うことができました。
 一方この間、関東学院大では学生たちの避難が始まっていました。
 本校を含むエリアの避難場所は「室の木公園」に指定されています。関東学院大学も
同様です。大学では学生たちを避難させるために、室の木公園に次々に移動を始めまし
た。
 このとき、室の木公園の様子を見に行った教員がいます。前述の質問紙調査の回答に
は次のようなものがあります。

 「避難場所として室の木は不適。実際、室の木は大学生でいっぱいになってしまい、
 移動できなかった。」


 関東学院大学もこの日、多くの学生が通学していました。室の木公園のキャパシティ
は本校・関東学院大学また近隣の住民の方全員が避難するほどの広さを有してはいませ
ん。結果的に見て、生徒たちを本校が中庭に集めたことで、かえって混乱を引き起こし
にくかったとも言えます。
 そしてこのとき、すでに地震による津波の到達時刻が近づいていました。教員の報告
では、校舎の屋上から、本校の近くある平潟湾に向かって流れる侍従川の「引き波」が
見えたという報告もありました。
 本校では、生徒たちを、耐震強度がもっと強い校舎である2号館に避難する方法をと
りました。

                                 (以下第5回)


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【連載】3・11を振り返る―本校の防災体制と情報発信を考える―(第3回)

3.3月11日・震災前のブログ

 2011年3月11日(金)の本校のブログでは、震災前の13時17分にブログを更新されています。
本校では、前日の10日(木)まで3学期に期末試験が行われ、この日は午前中からクラブ活動が行われて
いました。ブログ担当者は、この日校内のクラブ活動を午前中に取材しています。





 ブログの記事になかには、インフルエンザに伴う学級閉鎖・学年閉鎖の補填授業の写真もありました。
 したがって、3月11日は、全校生徒が登校していたわけではありませんが、少なからぬ生徒が、補填
授業・クラブ活動その他で登校していたということです。
 そしてこの穏やかな春の陽気のなか、だれもあのような巨大地震が起こるとは考えてもいませんでし
た。この日のブログに掲載された写真を見る限り、試験を終え、リラックスした表情を見せる普段どお
りの生徒たちの姿が映しだされていました。

                                       (以下第4回)

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