東日本大震災から7年
7年。
当時の小学校6年生は中学1年生として新しいスタートを待ちわびている頃でした。
今年、その時の子どもは大学2年生になります。
近くのスーパーで「美味しそうなキムチ」を見かけ、商品の案内をみると「仙台市宮城野区蒲生・・・」「知ってるね」「近くだね」懐かしく、嬉しく想い思わずキムチを手にして、買って家に帰りました。
それから、たった1週間。
この宮城野区蒲生一帯の家や工場は・・・。
震災直後は高速道路も歪み、車を走らせることも出来ずにいました。
5ヶ月後、そのキムチを作っていたお店のあった蒲生を訪れました。
家の屋根、何本かの柱、しかし家の中は空洞、港から流されてきたモノが詰まっている家も。
一帯はすべてが流されていました。
お店だったと思われる家の、かろうじて残った柱に「御用の方はこちらまで…」の張り紙を目にして涙が溢れてきました。
その後、そのキムチを目にすることはなくなりました。
蒲生地区の工場は海からの荷揚げ、船積みの立地から海に隣接し、荷揚げのための多くのクレーンもたくさん海に向かって立っていました。
それまでの便利な場所に打ち付ける波は牙をむき、そのすべてを海に持ち去り、当たり前の生活さえも持ち去ってしまいました。
今でもニュースで当時の写真を見ても話を聞くだけでも「胸がザワツク、息苦しくなる」とは当時そこに住んでいた家族の囁きです。
当たり前の毎日がどれほど貴重なことで、家族が隣にいることがどれほど貴重なことなのか、私たちは日ごろの忙しさや時間の経過とともに忘れがちになっているのではと考えさせられます。
時間の経過とともに忘れてはいけないことの一つにこの震災の痛ましさ、失った多くの命のことです。
いつも隣にいてくれるその人、いつものその時は二度と来ることはないと想い、“人”そして“時”を大切にしなければいけないのではないでしょうか。
あれから7年、まだ痛みは私たちの心に刻み込まれています。
2018年3月11日
関東学院六浦中学校・高等学校
中学教頭 酒井 美智子